内容説明
妻を原爆で失い、自らも被曝。命のある限り、子どもたちに愛を注ぐ。
著者等紹介
永井隆[ナガイタカシ]
明治41年2月島根県生まれ。昭和3年長崎医科大に進む。在学中にカソリックに傾倒し、8年、広島歩兵連隊に入隊する。9年に出征より帰還して、大学の研究室に復帰する。同年に浦上天主堂の守山松三郎神父から洗礼を受ける(洗礼名パウロ)。8月に森山緑と結婚し、地元で無料診断・無料奉仕活動などを行う。昭和20年8月9日、爆心地からわずか700メートルの長崎医科大の研究室で被爆。26年5月に逝去(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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鈴
51
放射線の研究をしていたために慢性骨髄性白血病になっていながらも余命を気にしつつ頑張っていた、そんな時に皮肉にも長崎に落とされた原子爆弾でさらに被爆した永井博士。白血病で夫に先立たれるはずだった奥様が原子爆弾で亡くなり、運良く幼い子供たちふたりは元気だったが、子供を遺して死ぬことがどんなに辛かったことか。この本は、幼子が母親を失い、父親も寝たきりで抱き締めることもできず、さらには遺児にしてしまうという辛さが一杯溢れている。恥ずかしながらこのような人物がいたことを知らず、学校で習ってきた息子に教えてもらった。2017/04/02
有
32
放射線の研究をしているため、近い将来自分は先に死ぬ。その時は、2人の幼子をよろしく頼む。そう約束したのに、妻が原子爆弾で先に亡くなってしまった。病魔に侵され、自分もじきに死んでしまう。遺された2人の子どもは…。父を求める子どもたちのいじらしい姿、遺児となった後2人の子どもがどのような生活を送るかの不安、仕事に対する情熱、そんな思いが綴られている。想像するほかないが、どれだけ子どもたちを愛していて、どれだけ生きていたかったかがひしひしと伝わる。未来が少しでも明るくなるようにと、願わずにはいられなかった。2017/04/16
サン
16
長崎原爆を被曝した医大学教授の手記。もともと放射線について研究していたため、万が一のときには妻子を置いて行くかも知らないと思っていたが、原爆により、妻を喪う。そして今度は自分が病に倒れ、近く戦争孤児となる子どもたちを思う話しだった。ひとつひとつの話しは短く心打つ文ばかり。脾臓の爆発のため、父は幼い子を可愛がってあげられず、子は父が寝ているところにこっそりと頬を寄せてお父さんの匂いを嗅ぐ。実際に彼らが暮らしていた如己堂を見たが、本当に二畳しかなかった。三人も暮らしていたのは信じられない。2019/01/07
jupiter68
1
キリスト教を信じる医師。不幸にして被ばくしてしまった人が、壮絶な人生の中で子どもたちを育てているということであった。だが、本の中ですべてそのような内容ではなく、科学に対する批判やその他経済的な話まで、さまざまな話が飛んでいて、なかなか読むことは辛かった。2020/03/24
涼
0
http://naym1.cocolog-nifty.com/tetsuya/2016/10/post-ceb4.html2017/02/05