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名古屋市電〈下〉

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  • サイズ B5判/ページ数 48p/高さ 26cm
  • 商品コード 9784777053575
  • NDC分類 686.9
  • Cコード C0065

出版社内容情報

昭和20年代後半には営業キロが100?qを突破し、最盛期を迎えた名古屋市電であったが、昭和30年代中頃になると地下鉄建設のために休止となる路線が出現、さらにバスの発達、自動車の増加を契機として、赤字経営であった市電は順次撤去の運命をたどることになった。
ありし日の名古屋市電の姿を3巻構成で伝える本書、下巻では、1971(昭和46)年4月1日に廃止された八事線と秩父通~八熊通間から1974(昭和49)年3月末の最後の廃止区間までを廃止順に紹介するとともに、車輌群についても形式別に収録。さらに車輌改造や花電車についても収録する。

目次

5 路線の廃止と車輌(つづき)(1971(昭和46)年4月1日 秩父通~八熊通間・東新町~黒川間・八事~安田車庫前間
1971(昭和46)年12月1日 熱田駅前~西稲永間
1972(昭和47)年3月1日 笹島町~稲葉地町間・浄心町~鶴舞公園間・東新町~堀田駅前間
1974(昭和49)年2月16日 沢上町~大江町間・沢上町~船方間
1974(昭和49)年3月31日 金山橋~市立大学病院間・矢田町四丁目~昭和町間・大久手~安田車庫前間)
6 最終日の情景

感想・レビュー

※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。

えすてい

7
最後まで残った1400・1500・1150・1550型といった、3ドア(ワンマン改造で後部ドア締切扱い)・吊りかけ駆動直接制御車、100両のうち55両が1400型だが、全長・定員が必ずしも全型式で統一されてたわけではなく、型式によって差が大きかった。下巻のはしがきの写真は最後まで残った区間でもある加福町・大江町を走行する写真だが、広々とした道路で渋滞もなく、名鉄築港線は運行時間が限られてるし、バスよりも輸送力が大きかったけど廃止。廃止既定路線は覆せない。矢田町四丁目~昭和町の通し系統はなかったのね。2020/03/18

えすてい

7
弾性車輪の「無音電車」、ブレーキはドラムブレーキを使う。名古屋市電の場合狭軌だったためか、インサイドドラムブレーキには難があり外締め式ドラムブレーキが搭載されたが(ディスクブレーキと間違われるがドラムブレーキである)、ドラムブレーキは地下鉄東山線100形にも踏襲される。しかし、今、日本の路面電車でドラムブレーキを使い車両はない。エアレスの超低床車はディスクブレーキとトラックブレーキだ。車と違い鉄道車両ではドラムブレーキは使いにくいのだろうか。地下鉄も200形以降東山線名城線はディスクブレーキとなる。2020/03/05

えすてい

6
で、その青柳町付近をゆく花電車。決して広くはない道路上に複線。電車の脇を市バスがすれ違っていく。今もこの付近の道は決して「広くはない」。市バスは1時間当たり2本はある。こういう細い道では安全地帯は今日でも難しいだろうな。しかし、高辻運輸事務所だけでは賄えず安田車庫という車両基地が必要だったから、最後までこの細い道の短い区間(お大久手~青柳町~安田車庫前)が残った。安田車庫前は今の市バス安田通である。2020/03/25

えすてい

2
地下鉄の延伸や市バス網の発達・モータリゼーションにより廃止が雪崩のように進んでいき、名古屋市電で最後まで残った金山橋⇔市大病院・矢田町四丁目⇔昭和町・大久手⇔安田車庫前の記憶をたどる。2013/11/20

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