内容説明
軍事独裁と、それに抵抗する民主化運動―韓国社会を覆ったさまざまな形の暴力の生々しい記憶は、どこへ消え去ったのか。「釜山アメリカ文化院放火事件」(一九八二年)の「首謀者」として逮捕、投獄された著者が、運動と暴力をめぐる「記憶」と「忘却」の問題を提起して、韓国で大きな論争を巻きおこした問題作。「私たち」が負った傷あとを語る痛切な響きは、読むものの心を深くつき動かす。光州、一九八〇年五月。まだ癒えぬ傷痕の中から生まれた「暴力論」。
目次
はじめに 時間の記憶、異なる「視線」を求めて
第1章 失われた記憶を求めて―狂気の時代を考える
第2章 「光州」二十年後―歴史の記憶と人間の記憶
第3章 傷痕が語りはじめた―補償と治癒の差異について
第4章 誰もすまないとは言わなかった―死と犠牲に対する礼儀
第5章 すべては終わった、だが愛していた
著者等紹介
文富軾[ムンブシク]
1959年、韓国釜山生まれ。1978年、釜山の高麗神学大学校(現・高神大)に入学。1981年に光州抗争の真相を知り、1982年3月、釜山アメリカ文化院に放火。4月に自首し、死刑判決を受けるが、「恩赦」により無期懲役に減刑。6年半の監獄生活を送る。1997年に季刊誌『当代批判』を創刊し、以後、同雑誌の編集に携わる
板垣竜太[イタガキリュウタ]
1972年、佐渡生まれ。東京大学で文化人類学を専攻し、朝鮮の近代社会史を研究する。1999年から2001年までソウル大に留学しつつ、韓国の農村で現地調査。2002年より、『当代批評』の海外客員編集委員。2003年に東京大学韓国朝鮮文化研究室助手。2004年より同志社大学社会学科専任講師
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