あらわれを哲学する―存在から政治まで

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  • サイズ B5判/ページ数 304p/高さ 22cm
  • 商品コード 9784771037076
  • NDC分類 104
  • Cコード C3010

出版社内容情報

現象学の無限の可能性

すべてはあらわれざるをえない。

世界は、その根本のところで、<なにかが・なにかに対して・なにかとしてあらわれる>というあり方をしているのではないか。これが私たちの直観である。そしてこの直観は、さらなる哲学的探求へと開かれていく。

内容説明

世界は、その根本のところで、(なにかが・なにかに対して・なにかとしてあらわれる)というあり方をしているのではないか。これが私たちの直観である。そしてこの直観は、さらなる哲学的探究へと開かれていく。

目次

第1部 ある(存在と真理;存在と真理における「多と一」;無と持続―メルロ=ポンティによるベルクソン批判を巡って)
第2部 あらわれる(意識を意識する―「意識」概念への媒介論的アプローチ;体験の一回性について;像はどのようにあらわれるのか―フッサールの像意識論を解釈して擁護する;魔術とは何か―自然主義的アプローチ)
第3部 かんがえる(デカルトと合理主義の臨界;哲学は遅れて―メルロ=ポンティと構造の問い;認識と倫理―水俣から問われる哲学)
第4部 よくいきる(現れを迎え入れるという倫理;レヴィナスにおける悪と責任;私は「私」から出られるのか)
第5部 ともにある(喪失という撹乱―死別を中心に;不可視性と共同体の倫理―アウグスティヌス「説教」九九における聖書解釈から;自由と政治(ただ共にある)ことを護る)

著者等紹介

荒畑靖宏[アラハタヤスヒロ]
フライブルク大学哲学部博士課程修了(Dr.phil.)。慶應義塾大学文学部教授

吉川孝[ヨシカワタカシ]
慶應義塾大学大学院文学研究科後期博士課程修了、博士(哲学)。高知県立大学文化学部准教授(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー

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ami

1
タイトルの通り、「現象学」に関わる論集。「魔術とは何か 自然主義的アプローチ」で真面目に魔術を扱っていて面食らった。精神世界の操作のコントロールを行う魔術におけるその“あらわれ”や操作について記述するという感じで面白かった。2024/06/07

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