光人社NF文庫
帰れなかったドイツ兵―太平洋戦争を箱根で過ごした誇り高きドイツ海軍将兵

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  • サイズ 文庫判/ページ数 202p/高さ 16cm
  • 商品コード 9784769826392
  • NDC分類 916
  • Cコード C0195

内容説明

大戦中、箱根の山で百人余のドイツ海軍将兵が一軒の老舗旅館で帰国の日を待っていた。その歳月は四年に及んだ。どんなに帰りたかったか。日本の兵隊が南方の島々でひたすら故国を思う心情と少しも変わらなかった。異国の山の中で苦しいほどの望郷の念が彼らをとらえていた。規律正しい日々を過ごすドイツ兵たちと現地の日本人との心温まるエピソードの数々。戦後、六十年を経て再会するまでを描いた感動作―。

目次

寂しい墓
横浜港ドイツ軍艦爆発事件
爆発のなぞ
松坂屋本店
黒パン日記
ドイツ兵と子供たち
箱根山のリリー・マルレーン
テーオの死
箱根山を去る
平成三年・秋
思い出の箱根
永遠のリリー・マルレーン

著者等紹介

新井恵美子[アライエミコ]
1939年、東京都生まれ。学習院大学文学部国文科中退。エッセイスト(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。

感想・レビュー

※以下の感想・レビューは、株式会社ドワンゴの提供する「読書メーター」によるものです。

0717

10
深田祐介さんの本を読んでたら、戦時中に箱根に百人単位でドイツ兵がいた話が出てきたので本書を手に取った。横浜でドイツ海軍の仮装巡洋艦が爆発炎上、救助されたドイツ兵逹は、戦時中で宿泊客も少ない箱根の旅館に客人として収容されることとなる。旅館を軍艦に見立てて規律正しい生活を送るが、ドイツへの帰国の目処は立たず。村民との、疎開した子供逹との心暖まる交流、やがての敗戦。ドイツへの帰国と社会復帰、箱根再訪など興味深い。2018/02/14

のりっく@泡沫戦史研究所(ワクチンうってもマスク・手洗い・うがい励行!)

2
昭和17年11月30日、横浜港でドイツ海軍の高速給油艦兼補給艦「ウッカーマルク」が爆沈し、横付けして補給中の仮装巡洋艦「トール」、貨物船「ロイテン」が焼失するという大事故があったことはいろいろな出版物で紹介されるようになりました。 この爆発事故により102名(ドイツ人61名、中国人36名、日本人5名)が死亡し、難を逃れたドイツ海軍の100名以上が乗るべき船を失って日本に取り残されることとなりました。それではこのドイツ海軍の将兵達はその後どこでどうしていたのでしょうか? 久々に涙がでそうになりました。2010/03/28

tecchan

1
忘れられた戦史のひとつ。大戦中、箱根の山で百人余のドイツ兵が、いつ来るかわからない帰国の日を待っていた。彼らの乗っていた軍艦が横浜港で大爆発を起こし多数の死者を出したことは当時、報道されなかった。その後の戦争の激化、母国の敗戦もあり、滞在は昭和22年まで4年間に渡った。望郷の思いを抱きながらの生活。日本人との交流。病に倒れる兵も。そして、戦後44年経っての箱根再訪。思い出の歌、リリーマルレーンのこと。戦争にまつわる感動の秘史。2017/09/08

そらいろ

0
【図書館】大戦中に起きた爆発事故で帰国できなくなったドイツ兵が、4年間箱根に滞在し、その後も交流が続き戦後60年が過ぎて来日する。滞在中のドイツ兵達の規律正しさ、疎開してきた子供達や女性への紳士な態度、伝わる望郷の念。池まで作って地元に貢献していた事に驚きました。想像していたよりも薄い本で、取材や考証が不足した浅い内容です。戦中のエピソードをもっと読んでみたかった。そうしたら戦後の再会の場面ももっと感動したと思います。書き直しだそうですが、校正も甘く一つの章に同じ内容や文章が続いたり、雑な印象が強く残念。2011/11/17

ケッヘル(次女)

0
舞台となっている箱根の「松坂屋」さんに宿泊したことがありまして、そこの展示でこのドイツ兵のことを少し知っていたため購入。歴史考証の部分はやや物足りないが、戦後の旅館と元ドイツ兵達の交流などを描いた部分は感動ものです。考証が足りない所と言えば、「ゲッペルス」はないだろう…。「ゲッベルス」だよ…。2010/05/06

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