メディアは存在しない

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  • サイズ A5判/ページ数 301p/高さ 20cm
  • 商品コード 9784757102057
  • NDC分類 361.45
  • Cコード C0010

出版社内容情報

マクルーハン、ルーマンなどのメディア論の分析をして、独自のメディア論を模索する。大澤真幸氏と東浩紀氏との鼎談も併録。

内容説明

メディアは人間を変えるのか?ラカン派精神医学の立場から、著者は「否」と答える。東浩紀、ジジェク、マクルーハン、西垣通、ルーマンらの諸説の検討、CG、アニメ、ブログ等の分析を通して、メディアと人間の関係を徹底思考。西垣通氏から著者への応答、東浩紀氏、大澤真幸氏との鼎談も収録。

目次

イデオロギーとしての「内破主義」
CGとフェティシズム
ジジェク的メディア論
マクルーハンの法則
ゴースト、あるいは複製に抗う残余
起源(の不可能性)としてのDK、あるいは三囚人のゲーム
メディアのオートポイエーシス(前編)
メディアのオートポイエーシス(後編)―「基礎情報学」の批判的検討
メディア理論と「不気味な谷」
メディアは何を伝達しているか
メディアの不在、あるいは「顔」の転移

著者等紹介

斎藤環[サイトウタマキ]
精神科医。1961年岩手県生まれ。筑波大学医学研究科博士課程修了(医学博士)。爽風会佐々木病院精神科診療部長(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー

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34

19
タイトルが落ち。ラカンの「女は存在しない」を踏まえている。しかしそれをいうなら、「メディアはすべてではない」では? という気がする。「メディアはすべてではない」というラカン語法を、通常の言葉に翻訳すると、メディアはすべてである(メディアの外は存在しない)、ということになるのだが…笑。少なくともひとつのメディア外存在が存在し、それが環先生にとって「人間の本質」で、それを苦労して表現しようとしているようにみえる。機械と幽霊。幽霊と機械。すべてが機械であるとしたら、幽霊とは? という不安。2019/06/01

袖崎いたる

10
ラカンというシニフィアンを用いたメディア論。その意想を描出してみれば――言語そのものによって自画像を得る人間であるから、その原基的な土壌である言語(この時点でStは安定した意味を成立させはしない)が情報となることはなく、その差異の体系においてはデータベースとしての言語が何においても先ず先行してしまっている。それゆえに想像界におけるあらゆるメディアの変容はその常に既にそれであるような象徴界を揺るがすことはない。つまり、ふつうメディアと呼ばれるようなあらゆるガジェットはイメージ・ソフトのレベルを出ないのだ。2017/03/13

shiorist

2
ラカンで社会現象をズバっと斬るとスタイリッシュなんだけど、まあいわゆる昔の賢者の言葉なので新しい考え方に対する反動にしか使えてないような気もする。2010/05/24

ぷほは

0
特に感想はない。2016/03/09

けん

0
象徴界が不変であるがゆえに、その他媒介からの影響力は無いに等しい、とかそういう話だったと思う。何か社会現象を分析する際に用いられるべき道具としてのラカンが、すさまじい存在感をもってるんだなぁと思ってラカンを読んでみたくなった。2010/01/02

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