著者等紹介
尾形光琳[オガタコウリン]
万治元年(1658)桃山時代以来続く京都呉服商雁金屋尾形宗謙の次男に生まれる。父は多芸・多趣味、本阿弥光悦の流れを汲む書の名手。延宝~貞享年間(1670~1687)少・青年期に狩野派を学び、また家伝の光悦・俵屋宗達の作品に触れ、純日本的装飾絵画としての琳派の復興を志す。元禄5年(1692)この頃より光琳と称す。元禄9年(1696)父より相続した財産をほぼ蕩尽。画家として本格的に立つ。元禄14年(1701)法橋位に叙される。現存の光琳の絵画はこれ以後の作品が多い。元禄15年(1702)代表作『燕子花図』屏風なる。宝永年間(1704~1710)江戸へ下向して大名家に仕えたり、京へ戻るなどしつつ、情趣溢れる『四季草花図』『波濤図』屏風等の作品を発表する。京都へ戻った宝永末頃から、金と銀、明と暗、写実とデザイン等の対立要素を統一した緊迫感に満ちた画風を確立。また、鳴滝に開窯した弟・乾山の陶器に絵付をしたり、蒔絵、染織品等の工芸品へ大胆な意匠を考案し、その造形美は近代の工芸デザインに大きな影響を与える。正徳4年(1714)晩年の大作『紅白梅図』屏風なる。享保元年(1716)京都にて歿す(五九歳)。妙顕寺興善院に埋葬
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