内容説明
すべては情報だなどと、なんと古くさい考え方だ。圧倒的なラカン、ルジャンドル論を経て、決定的なフーコー論へと向かう―。現代思想の絶対的な更新を試みる、俊英による精緻かつ鮮烈なる達成。
目次
第1部 ジャック・ラカン、大他者の享楽の非神学(何故の難解さか;“鏡”という装置―ナルシスに囁くエコー ほか)
第2部 ピエール・ルジャンドル、神話の厨房の匂い(「彼らは戻って来る。刃を携えて」―ルジャンドルとは誰か;“鏡”の策略―政治的愛と「ドグマ」の意味 ほか)
第3部 ミシェル・フーコー、生存の美学の此岸で(「権力と戦略」;フーコーの「転回」―「アッティカ刑務所について」と「真理と裁判形態」 ほか)
結論に代えて 可視性と言表可能性、そして「賽の一擲」
著者等紹介
佐々木中[ササキアタル]
1973年生。東京大学文学部卒業、東京大学大学院人文社会研究系基礎文化研究専攻宗教学宗教史学専門分野博士課程修了。博士(文学)。現在、立教大学兼任講師。専攻は哲学、現代思想、理論宗教学(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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nzmnzm
8
ポスト東浩紀的な思想のインフラが垣間見える気がした。もっとも文章の絶え間ない冗長さは擁護できない。この冗長さに耐えながら再読しなければならないと思うとうんざりするけれど、でも案外と凡庸な結論からこの大部の文章の可能性を救い出すには、僕の足りない頭では、それしか方法がないような気がする。<鏡>、「女性の快楽」、法、モンタージュ、ダイアグラム、思い出していなければならないはずの、忘れがちなものたちを呼び起こす。2010/09/01
onaka
7
や、これは読み応えあった。ところどころ振り落とされそうになりながら、てか振り落とされて途方にくれながら、でも、佐々木さんの冗長だけど挑発的な文体に励まされながら、何とか読み切った。なので理解できてないところは正直結構あるよ。でも、ラカンの女性の享楽とか、フーコーの誠実な惑乱と偉大さとか、ルジャンドルって人は実ははじめて知ったけど、中世解釈者革命なんてのはとても新鮮かつ知的にエキサイティング。もう一回、今度はもっと丹念に読みたい!と思わせる良書です。2013/10/01
EnJoeToh
7
十年ぶりくらいにいいもの読んだ。2009/07/20
uheei
5
nzmnzmさんが以前Twitterで引用ポストしておられて、興味を持った本です。借りて二週間かな、「繰り返すまい」と繰り返すリズム、「先へ急ごう」と逸るグルーブにすっかり没頭(テキストとのダンス!)してたので、お別れするのがなにか夢から醒めるかのよう。フーコーについては特に勉強になりました。小沢健二「うさぎ!」と語り口は違えど、向いてる方向が一緒であり、どういった知識背景からそういったことがおこるのかというのが、読了後の関心。引き合わせてみたい。2010/11/12
s9i
3
何度も途中で挫折したが、ついに読み終えることができた。何度でも、いつもそばに置いて読み返そうと思う。沢山の疑問、これから勉強し考えていきたい部分はあるが、ここでは一つだけ。p.574、第103節の最後。「しかしそれは、彼らをみな呼び集めるひとつの食卓を準備するためだったのだ」。この文の「食卓」という言葉が非常に気になった。確か、佐々木氏の講演会か、著作の中でもこの「食卓」ということについての言及があったように思う。ので、メモやアナレクタを読み返して、これから考えていきたい。2014/03/31




