内容説明
これまで、哲学は主に音声や文字によって表わされる言語で展開されてきた。また、その担い手の多くは、男性であった。これにより、哲学が失ってきたことも少なくないのではないか―。自身の手話習得および育児の体験を踏まえ、マクタガートの時間論や生と死の問題を、ろう者(手話)と産む性の視点から考察することを通して、言語モードとジェンダーの制約から人間の定義と哲学そのものを拡張する試み。
目次
第1部 手話と哲学者のすれ違い(声と魂の強すぎる結びつき;手話‐口話論争のジレンマ;音象徴と図像性;原始的な言語への曲解)
第2部 時間論を手話空間で考える(時間はリアルなのか;手話の4次元空間;問題と言語形式の不一致)
第3部 生と死の現実を産む性の視点で考える(誰のものでもない現実;死ぬことと生まれること;誰かの出産と私の出産、そして死)
著者等紹介
田中さをり[タナカサオリ]
編集者、文筆家。千葉大学大学院にて哲学と情報科学を専攻し、博士(学術)取得。現在、大学の広報に従事しながら、哲学や科学技術をテーマに執筆編集活動を行う。高校生からの哲学雑誌『哲楽』編集人。「現代哲学ラボ」世話人(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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Mc6ρ助
15
手話と出産をテコに時間を哲学する。新聞の書評に騙された爺さまは軽く考えて読み始めたがチンプンカンプンとはこのことだった。手話は空間言語なので「俯瞰的視点」を意識しやすいという。それを「マクタガードの時間論」に当てはめると「時間は存在しない」という彼の主張のより深い解析が可能だという。さらに、出産する母の視点からは、マクタガードのいう客観的な時間軸が「過去の女性たちの体験の平均的な事例集」として存在するかもしれないなど、実は時間は存在するかも知れない・・そうだ。う〜ん。2022/01/15
ドシル
9
気軽に読むにはやや専門的。 それでも、哲学から置き去りにされてきた手話とやはり哲学ではあまり触れられない産む性、つまり女性というふたつの視点で語られた本。 個人的にはヴントの話が大変興味深かった。 「哲学者に会いに行こう」シリーズとはまた違うけれど、面白くさまざまな示唆を与えてくれた。2022/02/01
たかひろ
3
マクタガートが提起した「時間の非実在性」という問題に対して、手話や産む性(=母)といった今まで哲学界では注目されてこなかった観点から考察を行っている。 そもそも「時間の非実在性」とは何かと言うと、「時間」概念を分析してみると時間を時間足らしめる性質が浮かび上がるが、その性質は矛盾を抱えているため時間は実在しないのではないか。という主張である。 筆者はまず手話表現でもってマクタガートが行った時間の分析と性質の抽出を再演し、そこで見出されたマクタガート論の不可解な点を「産む性」という観点から解釈する。2021/12/29
rymuka
2
子どもとの共存期間が異様に長いヒトは、未来形などの時制表現を発達させた。またその表現は、音楽などの時間体験を持たない耳の聞こえない方の言語(手話)でむしろヨリ豊かである。鳥やイルカも固有な仕方で時間を持つところ「ヒトは先天的に、言語によって時間を持つ」と教えてくれる、刺激的な御本。読書録あり → http://rymuka.blog136.fc2.com/blog-entry-98.html2022/03/21
hryk
2
哲学史から不当に扱われてきた手話言語の歴史、手話による認識を基盤としたマクタガードの時間論の検討、「産む生」への着目。マクタガードの「現実」を探る筋道は読んでいて面白かった。普遍性や一般性を目指す哲学がいかに偏った視点で議論をしていたかを思い知った。いや、哲学の非普遍性についてはこれまでも思い知っていたつもりだったけれど、それすらも偏狭だったと言ったほうがいいくらい。2021/11/18