消費者教育の開発―金銭教育を展望して

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  • サイズ A5判/ページ数 332p/高さ 22cm
  • 商品コード 9784750324036
  • NDC分類 365.8
  • Cコード C0037

出版社内容情報

消費者教育と金銭教育の原理と実践を取り上げている。多様化・深刻化する消費者問題への対応のみならず、自然環境との共生を重視する環境教育、グローバル化のもとで生まれた格差社会における金融教育も視野に入れ、幅広い問題を捉えるように提言している。

はじめに
第一部 消費者教育の理論と実践
 一 消費者教育の現代的課題
 二 消費者教育の必要性と可能性
  1 消費者教育はなぜ必要か
  2 消費者教育の可能性――新しい段階における発展を求めて
  3 「消費者教育時代」の幕開け
  4 消費者教育の理論
 三 消費者教育の展開
  1 消費社会の生活主体者を目ざして――消費者教育にしっかり取り組もう
  2 消費者教育のおもしろさと難しさ
  3 規制緩和と消費者の自立――消費者教育の視点から
  4 いま、あらためて消費者教育とは何かについて考える
  5 消費者教育と生活者の視点――ライフスタイルの改革を求めて
  6 消費者教育と生涯学習
  7 消費者教育の現状と課題
 四 消費者教育の実践
  1 消費者教育の意義
  2 子どもの消費者問題
  3 食品研究の事例二つ
  4 ゴミ問題の研究
第二部 金銭教育の理論と実践
 一 金銭教育論序説
  1 金銭教育へのコミットメント――序章
  2 金銭教育の概念
  3 金銭教育の性格・特色
  4 健全な金銭感覚・金銭観の歴史的形態
  5 金銭教育の意義と必要
 二 金銭教育の諸問題
  1 消費者教育と貯蓄運動
  2 金銭教育の発展を求めて――消費者教育との関わりから
  3 二一世紀に向かってのライフプランのデザイン
  4 金銭教育のすすめ方
  5 消費者教育と金銭教育――現代消費者教育の課題
  6 金銭教育の反省と展望
 三 金銭教育の実践
  1 金銭教育のとらえ方――概念と意義
  2 家庭における金銭教育
  3 学校における金銭教育の実践――金銭教育研究校の成果を中心に
  4 これからの金銭教育

はじめに
 本書は「消費者教育」と「金銭教育」について、原理と実践を取りあげている。第一部で消費者教育を、第二部で金銭教育を、というように、別々に扱っているので、両者はまったく異なったものであり、この本は二題話をしようとしているのではないかという予想を読者に与えてしまうかもしれない。
 この二つを異なる分野だと見ることも、あながちまちがいだとは言えない。しかし、同じものを表裏から見ているという、視点あるいは視角の違いなのであって、基本的には同一の対象だと言うべきであろう。
 消費者教育というのは、要するに「賢い消費者」を形成するための努力である。賢い消費者とは、「欲望の充足のために財貨を消耗する行為」である消費活動を賢明に行なう人のことであるから、つまるところ、お金の使い方が上手な人を意味する。消費者を金づかいのうまい人にしようとするのが、金銭教育なのである。そこで、消費者教育と金銭教育とは、同じ目的を共有しており、両者は相互に協力関係にある、ということになる。
 しかし、消費者教育即金銭教育とするのは、誤りである。なぜなら、金銭教育は消費行動に関わるだけでなく、生産や労働、貯蓄や投資などにも関わっているからである。消費者教育と金銭教育とがぴったり重なっている部分は大きいのだが、両者が別の分野になっている場合もあるということである。
 消費者教育、金銭教育とも、教育のなかの一分野であるが、それらの登場は古い時代のことではなく、歴史は浅い。アメリカやイギリスのような先進国でも、せいぜい一世紀程度の歴史しかなく、日本の場合は半世紀に満たない。経済が発達して大衆消費社会に到達したことで、大量生産・大量消費が進み、それに伴って「消費者問題」が発生するようになった。それは「消費者が取引によって入手した商品・サービスを、生存・生活のために消費する過程で被害を受ける」ことである。つまり、消費者問題とは消費者被害を意味する。この問題が頻発するようになり、大きな社会問題になったことから、消費者教育が必要だということになったのである。
 なぜ消費者問題がこんなに深刻になったのであろうか。近代の経済社会では、売り手と買い手は対等な立場で、自由に取引できるはずであった。両者は対等どころか、消費者の欲求が購買行動を通じて価格や品質に反映されるので、生産・資源配分の最終的な決定権は消費者にあるという、「消費者主権」説が流布されたくらいである。いわゆる「消費者は王様」論である。しかし実際には、独占価格のような価格硬直がみられたり、広告・宣伝によって消費者の欲求が左右されたりして、自由な取引が阻害されやすい。そもそも、商品やサービスの内容について、作り手・売り手の側が十分な情報をもっているのに対して、消費者の側は不十分な情報しかもちえないのが普通である。
 それゆえに、消費者は取引内容が自己に不当に不利益であることがわからず、売り手側の提供する情報を鵜呑みにして購入するようなことがしばしば起こる。これに対抗して自分の利益・権利を守るために、消費者は対等な取引が可能になるような知識をもたねばならないというのが、消費者教育を必要とする論拠である。知識の内容としてすぐ思いつくのは、商品に関する知識であり、初期の消費者教育の内容は商品知識であった。しかし、商品の数は多く、次々と新商品が市場に出てくる。それに、現代の商品の内容はすこぶる複雑で、消費者の理解を超えるものが多い。
 これに対して、消費者保護の必要から消費者行政当局は、商品に表示を行なうよう業者に義務づけた。そこで、消費者教育のテーマは、表示を正しく読み取る能力の形成ということになる。食品では成分・添加物・製造年月日・品質保持期限または賞味期限・原産国などの表示が行なわれるようになり、電気製品では安全性や技術基準への適合を示すことが義務づけられている。しかし、表示の項目や様式が妥当でないという消費者の不満があり、虚偽の表示を故意に行なうような違法行為も行なわれてきた。
 戦後日本における消費者問題としては、「にせ牛缶事件」(一九六〇年)、「カネミ油症事件」(一九六八年)、「AF2問題」(一九七三~七四年)、「悪質訪問販売など契約トラブル」(一九八〇年代)などが知られている。近年になって、自動車の欠陥をメーカーが報告・公表せず、消費者の信頼を失って経営不振に追い込まれた例、大手乳業が安全性に問題のある食品を製造・販売し、さらに傘下の食品会社が牛肉偽装事件を起こした例などの事件が起きた。BSE(牛海綿状脳症、いわゆる狂牛病)問題への対策として、政府は国産牛肉買い上げ措置を行なったのだが、これに便乗して、いくつかの食品会社が対象外の肉を国産だと偽って補助金を詐取し、罪に問われるという事件が相次いだ。
 牛肉だけでなく、ハム・ソーセージに「国産豚使用」と表記しながら、実は米国産などを使っていた事件、食品卸業者がブラジルなどから輸入した鶏肉をブランド地鶏や国産と偽装表示をしていた事件、また食品卸業界三位の大企業が、国産の豚・牛・鶏の産地や品種を偽り、ブランド肉として出荷していた事件などが起きた。このほか、全国農業協同組合(全農)の子会社が、輸入鶏肉を国産と偽り、産地偽装や抗生物質不使用の偽装を行なった。業界の信用は地に墜ち、消費者は表示への不信感を強くもつようになった。
 米国で狂牛病が発生し、一時輸入が止められていたが、政治決着で輸入が再開された直後、なんと輸入肉に危険部位が混入されているという事件が起きた。当然、輸入はまたもストップされたが、日米同盟強化の政策のもと、輸入が再再開されるようになった。世論調査によれば、国民の大多数は米国産牛肉の安全性について不安に思っている。いまや、消費者は行政による保護を期待できないのである。
 こういう状況のもとでは、消費者は大いに学び、正確な情報を集めて、自分を防衛しなければならない。規制緩和、セーフティネット撤廃の政策では、消費者・国民の「自己責任」がしきりに唱導されている。消費者としては、個人的な防衛とともに、消費者が安心して生活できるような社会システムをつくるよう、行政に要求していかなければならない。それにはどうすればよいかを学ぶことが、現代の消費者教育の中心的課題である。
 政府は、二〇〇四(平成一六)年六月、「消費者保護基本法」を改正して「消費者基本法」を制定した。同法では、「消費者の権利の尊重」と「消費者の自立の支援」を基本とするとしており、また、政府は「消費者基本計画」を定めて消費者政策の計画的な推進を図ることが言われている。これに基づいて政府は二〇〇五年四月、基本計画を閣議決定した。これは、平成一七年度から二一年度に至る五カ年計画であり、(1)消費者の安全・安心の確保、(2)消費者の自立のための基盤整備、(3)緊要な消費者トラブルへの機動的・集中的な対応という、三つの基本的方向が打ち出されている。消費者教育については、上記(2)のなかで、「消費者が、学校、地域、家庭、職場等の様々な場所で、生涯をつうじて消費者教育を受けられる機会の充実を図る」ことを目ざしている。そのために、消費者教育の推進体制の強化、消費者教育の担い手の育成・支援、教材の開発・提供、消費者教育の体系化が課題だととらえている。
 より具体的な方策として、内閣府・文科省のあいだの緊密な連携、消費生活センターと教育委員会との連絡協議会の設置といった推進体制の強化や、消費者教育専門家の育成や各省庁による消費者教育の促進、教材や教員用指導書の作成・頒布、リソースセンターの機能強化などが掲げられている。盛りだくさんのプログラムで、消費者教育の全面的拡充に省庁あげて本格的に取り組むかのような印象を与えるが、その多くはこれまですでに行なわれてきたのに、はかばかしい成果をあげることができず、学校教育のなかでは消費者教育が点から線にまでも成長せず、社会教育における消費者教育もあまり成功してはいない。こういう現状を改革しようと思えば、不振の原因について徹底的に解明し、的確な対策を講じる必要がある。たとえば、これまでの伸び悩みの大きな原因として、財政的支援の不足があげられるのだが、基本計画にはそれへの対策が欠けている。
 教育内容や方法に関する研究開発では、これまで消費者教育支援センターが奮闘し、多くの実績をあげてはきたが、孤軍力及ばずという感がある。消費者教育研究者の協力態勢を強化するとともに、各研究者の個人研究を支援することが必要であるが、ここでも資金の不足がネックになっている。行政の縦割り・セクショナリズムが問題だというのも事実であろうが、官庁同士の話し合いよりも、民間における研究・教育の実践を支援することの方が、効果的な施策であると思われる。
 今日の消費者問題は、ますます多様化し、深刻化している。ところが、狂牛病問題ひとつとってみても、行政の対応は適切と言えず、「消費者が安全で安心できる消費生活を送ることができる環境を整備する」ことに全力を傾け、緊要な消費者トラブルに機動的・集中的に施策を講じていく熱意と能力に欠けているのではないかと懸念される。それどころか、現代の消費者問題には、政策によって(作為と不作為の両面で)生み出されたものが多いように思われるのである。
 グローバル化政策は自由化・規制緩和を旗印にしており、とくに貿易自由化によって消費者は海外の商品を安い価格で入手できることがメリットだとされた。また、規制緩和で大手小売業が巨大なショッピング・モールを地方都市近郊に建設した。豊富な品揃えと安価で消費者を吸引したが、中心地域の商店や中小小売業者は激しい競争のなかで敗北し、淘汰されていく。身近な商店の消滅は、自動車を使えない高齢消費者にとっては致命的である。消滅した商店で働いていた人びとは失業の憂き目を見、中・高年齢者は進出した大型店に雇ってもらえない。雇ってもらえた若者や女性たちも、その多くはパートタイマーで、劣悪な労働条件の下にある。働く人たちは同時に消費者であるわけだが、収入の低下によって豊かな消費生活を営むことができない。貧しいのと忙しいのとで、ファーストフード風の、安かろう・悪かろうの低品質商品を購入せざるを得なくなる。
 ショッピング・モールやスーパー、コンビニなどで売られている商品は、外国産が多く、外国産の原料を日本で加工したものも、安全性に不安がある。遺伝子組替え食品でも、それという表示がなく、非使用の食品を買いたいと思っても、置いている所が少ない。それぞれの土地でつくられた素材を使い、安全・安心、質も高かった商品は、価格競争に負けて姿を消し、消費者の選択の余地は狭まっている。こういう状況の中でまともな消費生活をしようと思えば、生活協同組合や産直グループにでも入って、良心的な生産者と提携し、地産地消を進めていくほかはないであろう。こんにちの消費者教育は、自然環境との共生を重視するエコ・コンシューマリズム(グリーン・コンシューマリズム)の立場で、われわれの消費生活にかかわる構造的な矛盾の解明と、その克服の方向について学ぶものでなければならない。
 かたや金銭教育については、日本銀行がその推進に当たってきたが、最初は貯蓄増強の狙いで、学校内に子ども銀行を設けるよう奨励するなど、貯蓄心の涵養に熱心であった。次いで、子どもの健全な金銭感覚の形成を主眼とするようになったが、「モノやカネを大切に」という道徳教育が主流となって、金銭管理や家計運営の能力の向上は二の次となり、それもごく少数の研究指定校以外の一般教育界に浸透することはできなかった。そこへ「金融教育」重視の国際的潮流が与えたインパクトで、いまや金銭教育よりも金融教育、つまり金融制度・金融機関・金融商品などについての知識の教授や、金融資産増殖のノウハウを学ぶ演習が脚光を浴びつつある。
 グローバル化のもとでの自由競争の激化により、いまの日本社会では富める者と貧しい者との両極化が進み、格差社会になったといわれている。事実、一方に巨額の投資をして巨利を得ている資産家があり、他方では生活苦に悩み、自殺までする窮民がいる。消費者金融(サラ金)で借金して急場をしのごうとする人びとは、一七〇〇万人とも一九〇〇万人ともいわれている。そのなかで返済困難に陥る人は一五〇万人から二〇〇万人だとされ、自己破産者の数は毎年約二〇万人だという。非合法な高利を貪り、過酷な取り立てをする「ヤミ金融」の被害者も跡を絶たない。
 貯金をもっていてもゼロに等しい低金利なので株に投資すると、ハイ・リターンを期待したのが突如急落してハイ・リスクが現実のものになったりする。それでも貯金や投資ができる人はまだましの方で、貯蓄がゼロの家庭が二割を超え、生活保護は一〇〇万世帯になっている。
 子どもたちに健全な金銭感覚を涵養し、金銭管理能力を身につけさせ、さらに現代の経済システムの仕組みと問題点を認識し、その改善・改革を目ざすような意識を形成する金銭教育・経済教育に取り組むことが必要である。まともな労働の対価として正当な賃金・報酬を得るという労働観・金銭感覚を習得し、法律的にも道徳的にも問題のあるような経済行為を行なわない知性・品性の持ち主になるように指導すべきなのである。株式投資のシミュレーション学習を行ない、金儲けの面白さを知り、将来の投資活動の能力を養成するといった金融教育は、公教育の場にはそぐわないであろう。ただし、株価の変動に影響を与える内外の要因、政治・経済の諸問題と株価の関係を知ることは、現代経済社会に生きる市民にとって不可欠な教養である。
 筆者は、消費者問題が深刻化し、消費者運動の高揚に対応して、国や地方自治体が消費者保護対策に乗り出した一九七〇年代に、東京都の消費者対策審議会の委員に起用されて以来、消費者教育の推進・研究に取り組んでこんにちに至っている。その間、日銀の金融広報中央委員会との関わりが生じ、金銭教育の普及・推進に努力した。消費者教育と金銭教育はコインの表裏というか、共通する部分がきわめて大きいという認識に立ってのことである。
 日本の国民が生活者・市民として自立し、真の主権者となることを目ざす教育的営為の一環として、消費者教育・金銭教育は有効かつ必須のものだと信じている。そのことを認識し、共感して教育活動に取り組んでくださる人がひとりでも多くなることを望んで、この分野の研究と発言に力を注いできた。それらを集成して、ここに一巻の書を編み、刊行することにした。論文と講演要旨とでは文体が異なり、不統一になってはいるが、なるべく初出のときの形を守りたいという気持ちで、内容(その時どきの状況・場・対象に応じての発言)とともに、あえてそのままにした。読者諸賢のご了解を得られれば幸いである。
 もとより、学成っての顕示などというものではなく、道半ばにしての中間報告である。しかしながら筆者の学道はすでに終焉に近く、自ら明日を切り拓く希望をもちえない。青壮の学徒、斯道探求に熱意ある前途有望の人たちに遺すことば、将来を託す切望の言葉として贈ることにしたい。また、刊行に際して小池源吾氏(広島大学)の深甚な援助をいただいた。同氏のご厚情に対し、心からの謝意を表したい。

二〇〇六年八月
宮坂広作

目次

第1部 消費者教育の理論と実践(消費者教育の現代的課題;消費者教育の必要性と可能性;消費者教育の展開;消費者教育の実践)
第2部 金銭教育の理論と実践(金銭教育論序説;金銭教育の諸問題;金銭教育の実践)

著者等紹介

宮坂広作[ミヤサカコウサク]
1931年、長野県諏訪市に生まれる。1954年、東京大学教養学部教養学科卒業。東京大学大学院(教育行政学専門課程)に学んだのち、お茶の水女子大学・東京大学・山梨学院大学等の教職に就き、現在、東京大学名誉教授・教育学博士(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。

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