セクシュアリティの障害学

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  • サイズ B6判/ページ数 301p/高さ 20cm
  • 商品コード 9784750321363
  • NDC分類 369.27
  • Cコード C0036

内容説明

障害者は性的弱者なのか!?女性障害者にとっての恋愛・結婚・生殖という呪縛、障害者と介助者との間の性的緊張関係、欲望しない男という誤解…。障害と性にはりついた言説を疑い、セクシュアリティを根本から問う、性の障害学のテイクオフ。

目次

第1章 性的弱者論
第2章 戦略、あるいは呪縛としてのロマンチックラブ・イデオロギー―障害女性とセクシュアリティの「間」に何があるのか
第3章 自分のセクシュアリティについて語ってみる
第4章 障害当事者運動はどのように性を問題化してきたか
第5章 パンツ一枚の攻防―介助現場における身体距離とセクシュアリティ
第6章 介助と秘めごと―マスターベーション介助をめぐる介助者の語り
第7章 「父親の出番」再考―障害をもつ子どもの性をめぐる問題構成
第8章 誘いの受け方、断り方―社会福祉実習指導の問題点

著者等紹介

倉本智明[クラモトトモアキ]
関西大学社会学部他非常勤講師
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。

出版社内容情報

障害女性、介助、障害当事者運動、家族、専門教育など多角的な視点から「障害とセクシュアリティ」を論じた意欲作。障害者の性という窓を介して現代のセクシュアリティの一断面がみえてくる!

第1章 性的弱者論(倉本智明)
1 私は性的弱者か
2 性的弱者という言葉が指し示す対象
3 リベラリズムの倫理と性的弱者概念の再構成
4 性的弱者を生む障壁
5 三つの処方箋
6 性的弱者論の両義性
第2章 戦略、あるいは呪縛としてのロマンチックラブ・イデオロギー――障害女性とセクシュアリティの「間」に何があるのか(松波めぐみ)
序 日常のなかの「恋愛・結婚」、戸惑う私
1 ロマンチックラブ・イデオロギーという主題
2 「障害者の性」の語られ方とジェンダー
3 ロマンチックラブ・イデオロギーと障害女性
4 セクシュアリティまでの距離――性を隠蔽するロマンチックラブ・イデオロギー
5 おわりに
第3章 自分のセクシュアリティについて語ってみる(横須賀俊司)
1 第三の戦略
2 「先生には性的欲求はないと思います」
3 オナニーをしないわけ
4 なぜ女性障害者に欲情しないのか?
5 セックスの作法
6 性交の呪縛
第4章 障害当事者運動はどのように性を問題化してきたか(瀬山紀子)
1 はじめに
2 〈性〉が語られてきた場所――車いす市民全国集会
3 性について語るとはる「本音の関係」
4 「裏メニュー」という切り分け
5 「サービス」を補完するものとしての「関係」
6 「秘めごと」という関係
7 メニュー化をはばむ「秘めごと」
8 おわりに
第7章 「父親の出番」再考――障害をもつ子どもの性をめぐる問題構成(土屋 葉)
1 近代家族とセクシュアリティ
2 障害者家族とセクシュアリティ
3 親がとらえる問題/子どもがとらえる問題
4 親への働きかけ
5 まとめ
第8章 誘いの受け方、断り方――社会福祉実習指導の問題点(三島亜紀子)
1 はじめに
2 社会福祉士養成のための実習
3 教科書のなかに住む「障害者」と性
4 分析されるセクシュアリティ
5 おわりにかえて――「誘い」が成立する(対話のある)地点
あとがき
執筆者紹介

あとがき
 ここ十年余のことだろうか、障害者関連の集まりで性にかかわる問題が主題として取り上げられる機会が増えてきたように思える。しかも、他のテーマを扱った場合に比して盛会であることが多いと聞く。出版物についても、同じような傾向がみてとれる。よきにつけ悪しきにつけ、性についてのあれやこれやを、人びとが競って語る時代としての近代が、障害者のもとにもようやく訪れたということだろうか。
 とはいえ、性について語ることを、障害者やその周辺の人たちがそれまでしてこなかったというわけではない。少なくとも一九七〇年代以降、障害者コミュニティのなかでは、意識的なものも自然発生的なものも含め、そうした機会がたびたびもたれてきた。第4章で瀬山紀子が取り上げた車いす市民集会におけるセッションは、そうした営みの延長線上に位置するものである。コミュニティは語りを誘発し、語りは人びとをコミュニティにアイデンティファイする。そのようにして、セクシュアリティをめぐっても「障害者」という集団が立ち現れるのである。
 それにしても、瀬山が取り上げた記録からもみてとれるが、どうして、性的な欲望について語ろうとすると、常に恋愛や結婚の話題がワ手にとっての切実さに由来するのか、対象との距離の確保ということが、これまで充分には考慮されてこなかったように思える。第5章と第6章で前田拓也と草山太郎がそれぞれ言及している介助場面における問題もそうだ。障害者と介助者の双方からそこに考えるべき課題があることは繰り返し指摘されながらも、即時的な対処法の入手が急がれるあまり、いまなにが起こっているのか、という基本的な部分の検討がなおざりにされがちであった。
 ところで、対象との距離というと、つい観察者の第三者性により担保されるかのように誤解されがちであるが、それはちがう。少なくとも、観察対象が観察者をもその内部に含む社会とかかわる事象である場合、第三者であることは自動的に対象との距離を保障するものではないし、逆に、当事者であることによってそれが確保しえないというわけでもない。確かに、立ち位置のちがいによって得られる写像は異なってくる。が、そもそもひとりの、あるいは有限数の観察者が得ることのできる解には、不可避的に偏りがはらまれている。私たちは、それらさまざまな立ち位置に立つ者がそれぞれの方法で得た知見をつなぎあわせるなかから、おぼろに浮かび上がる世界の像をながめの性に具現されたセクシュアリティそのものである、というのが私たちの問題意識だ。「セクシュアリティの障害学」という書名は、そのことを表現したものである。ごくささやかなものではあるかもしれないが、障害研究というローカルな枠を超えて、セクシュアリティをめぐる議論に本書がなにがしかをつけ加えることになればと願っている。

二〇〇五年四月
倉本智明