内容説明
いわゆる大正デモクラシーの時代には、教育の改革をめざして、いくつかのユニークな私立学校が創設された。しかし、半世紀をこえる時の経過において、かつては貴重な教育の成果を創り出しながらも、歴史の激流にのみこまれるようにして消失してしまった新学校もある。「児童の村」小学校がそういう新学校の代表であろう。「児童の村」という名称は誰が考えついたのかわからないが、そこにも創設者たちの革新的な教育観が示されていた。つまり彼等は学校を子どもたち自身による自治的な共同体にしたかったのだった。しかし、設立認可のさいに「○○児童の村尋常小学校」と名のることを強制されたことからはじまって、「村」の人間は日本の国家体制の中できびしい試練にさらされ、きわめて短命な教育ユートピアとなってしまったのであった。
目次
池袋児童の村小学校の教育(池袋児童の村小学校の前史;初期児童の村の教育;児童の村教育の諸相;児童の村の終焉;資料―池袋児童の村の想い出)
桜井祐男と芦屋児童の村小学校の教育(「教育月評」家時代の桜井;奈良女高師での教育実践と『教育文芸』誌の創刊;芦屋児童の村小学校の教育;桜井の最期とその評価)
上田床三郎と雲雀ヶ岡小学校(雲雀ヶ岡小学校の概観;上田庄三郎における教育解放運動の展開とその思想;大地主義教育論と「児童の村」教育;雲雀ヶ岡小学校における教育実践)