出版社内容情報
一六世紀半ばの時代状況をよく伝え、室町幕府奉公衆だった石谷(いしがい)光政(みつまさ)・頼(より)辰(とき)の親子二代に関連する全三巻四七通からなる貴重な文書群。その全容を解明するべく、すべての写真と翻刻を掲載し解説を付す。由緒や権利に関する書状から姻戚関係、長宗我部元親に関するもの、そして注目の本能寺の変前後の書状まで、戦国時代史の解明に一石を投じる話題の史料。
内容説明
室町幕府奉公衆だった石谷光政・頼辰親子二代にわたる文書群、全三巻四七通の写真と翻刻を掲載し解説を付す。姻戚関係や長宗我部元親に関するもの、本能寺の変前後の書状まで、戦国時代の解明に一石を投じる貴重史料。
目次
林原美術館所蔵石谷家文書(林原美術館什物;石谷家文書の概要)
史料編
著者等紹介
浅利尚民[アサリナオミ]
1976年生まれ・林原美術館学芸課長
内池英樹[ウチイケヒデキ]
1972年生まれ・岡山県立博物館学芸課主幹(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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逍遥遊
3
40-06-20200627 読めん。くずし字を読み違えてコミュニケーションが上手くいかなかったケースが多かったのではないだろうか?それとも当時は読みなれていて、手紙がきちんとした情報伝達手段であったのだろうか?いずれにしても現物を見に行きたいな。2020/06/27
楽
0
本能寺の変に関する史料として、正月十一日付と五月二十一日付の書状が注目されていますが、内容先行の感があって、文書の価値についてはさらなる研究が必要でしょう。後者は光秀の重臣である斎藤利三に届いたのか、はっきりしません(当時の交通事情から数日で届くものではありません)。 「石谷家文書」は本能寺の変に四国問題がかかわっていたことを示す史料ですが、明智憲三郎氏の『本能寺の変 431年目の真実』全体を補強するものではありません。さも同書にお墨付きを与えているように見えますが。2015/06/27