内容説明
明治になって公園はなぜ造られたのか。治安や伝染病予防のための街角の公園や、上野公園・皇居外苑など、パレードや博覧会が行われた国民統合の装置としての公園…。帝都東京の都市計画を探り、近代の公園を考える。
目次
装置としての公園―プロローグ
帝都の構想と公園(公園制度の誕生と市区改正;都市の肺臓論と公園 ほか)
都市計画の中の公園(明治二十一年東京市区改正委員会;衛生行政の展開 ほか)
国家的催事と公園―上野公園(博覧会と上野;天皇のパフォーマンスと上野公園)
帝都の儀礼と公園―皇居外苑(国家儀礼のための広場;国家の公園と群集)
公園計画論の系譜(公園の現在;公園の計画論と公共性)
パラドクスを抱えた公園―エピローグ
著者等紹介
小野良平[オノリョウヘイ]
1962年、栃木県に生まれる。1989年、東京大学大学院農学系研究科修了。株式会社日建設計勤務を経て現在、東京大学大学院助教授(農学生命科学研究科)
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感想・レビュー
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bapaksejahtera
17
公園や緑地設計に関わる技術者の博士論文を基とした本。明治期の帝都東京の都市開発の中で市区改正と並行企図された都市内小公園建設計画、近代天皇制を人民に周知させる儀式空間として設計された上野公園並びに日比谷公園と皇居前広場に論は及ぶ。低劣なインフラの下に放置された東京の貧民窟の改善を試みた後の挫折に続き、国家形成のツールとしての日比谷と皇居前公園施設の記述は連続性に乏しい。著者は後書きで正直に非力を語るが、正にこの問題の難しさを示す。寧ろ帝都論を省き現在の公園を称する都市内小緑地を巡る議論を深めてほしかった。2023/06/07
ヒナコ
13
明治・大正期の日本の都市計画から、公園というオープンスペースがどのように意図され作られていったかを考察する歴史書。公園はまず、都市の汚染された空気を緩和し、コレラを予防するという公衆衛生ために計画された。また、国民が自主的に身体を動かす場所を提供することで、国民の体力を向上させるという効果も、公園には期待されていた。近代初期の日本の公園は、当時の日本政府の富国強兵策の一環だったのである。→2022/04/27
chang_ume
9
近代日本の「公園」形成史を追う。明治6年太政官布告と明治10年代市区改正事業の間の質的な転換を理解。公園を「都市の肺臓」とする衛生思想がまず興味深い。「瘴気」の排除・交換を目的とした公園設置は、近代ならではの行動原理をうかがわせます。一方で公園経営が独立採算であったため、地代徴収目的で敷地内の店舗進出を許容した点に、近世「名所」との連続も。近世近代の連続と断絶を公園からどう見立てるか。後半、国民国家論との接続も示されますが、解釈フレームワークとしてはやや淡白かなとも。公園内部の論理をさらに知りたい。2018/09/18
アメヲトコ
8
2003年刊。近代における公園計画について概説した一冊。衛生とか国民の体力向上とか国家儀礼による国民統合とかの指摘は、ですよねとは思いつつも(今となっては)さほど新味はありません。ただ上野の博覧会場における縁日的空間の例のように、図らずして現れる前近代的空間の指摘は興味深かったです。2022/06/16
阿部
1
日本の公園計画はじまりとしての市区改正と、より国家的な意図が汲めるケースとしての今の国民公園の計画思想を探る本。博論がベースという割にはあっさりした内容だなと思いつつ、問題意識については共感する。「公園は都市のゴミ箱」という話も思い出すと、国民国家論だけでは分析しきれない面もあるはずで、そうした全体性の中での本書の位置付けの提示が弱かった気が。しかし謎解き風でもあり、面白い内容ではある。2020/12/30