出版社内容情報
藤原道長の長女、一条天皇の中宮。二人の天皇の生母として政務を後見。その後も天皇家家長・摂関家尊長として政治力を発揮した生涯。
内容説明
一条天皇の中宮。藤原道長の長女として生まれ、二人の天皇の生母として政務を後見。その後も天皇家の家長として政治力を発揮する。いっぽう、弟の頼通を支え、紫/式部ら女房をとりまとめるなど、摂関家の発展にも貢献。続く院政期に多大な影響を与えた87年の生涯を、『御堂関白記』『小右記』などに残されたわずかな痕跡から浮かび上がらせる。
目次
第1 誕生から入内まで
第2 立后と敦康親王養育
第3 二人の親王の誕生
第4 皇太后として
第5 幼帝を支えて―国母の自覚
第6 後一条天皇の見守り
第7 天皇家と摂関家を支えて
第8 後朱雀天皇の後見
第9 大女院として
第10 彰子の人間像
著者等紹介
服藤早苗[フクトウサナエ]
1947年愛媛県生まれ。1971年横浜国立大学教育学部卒業。1977年東京教育大学文学部卒業。1980年お茶の水女子大学大学院人文科学研究科修士課程修了。1986年東京都立大学大学院人文科学研究科博士課程単位取得退学。文学博士。現在、埼玉学園大学名誉教授(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
びっぐすとん
18
図書館本。新聞書評見て。彰子は「初恋で年上の才気煥発な美女で、政治的障害を乗り越え子供までなして亡くなった定子」の後では分の悪い型通りのお姫様だと思っていた。一条帝が死のその時まで定子を愛していたのは彰子も感じただろう。しかしその後、遺児を育て、曾孫の治世まで見届け、皇室、摂関家を安泰に導いた姿は正にゴッドマザー。これぞ超一流貴族の総領娘の使命なのか。女の幸せより実家の繁栄かあ。彰子の本音を聞いてみたい。近親婚は虚弱短命の原因、摂関政治の致命的弱点、先細りなのは自明だけど、当時は気にしてなかったのかな?2019/10/30
こぽぞう☆
16
図書館、新刊の棚より。「枕草子」と「紫式部日記」のおかげで、華やかで賢く愛された定子と引っ込み思案で道長の娘ねんねの彰子というイメージしかなかったが、いやいやどうして。定子は25歳で亡くなってるが、彰子は24歳で未亡人に。そこからがスゴい。天皇家の家長として、そして道長亡き後は頼りない弟頼通に頼られ、藤原家の家長としても力強く生きる。藤原家の「道長の子孫以外、后にはしない」戦略。それが崩れていって院政期になるわけだが、彰子は曾孫白河天皇の即位見届けて87歳で亡くなる。その白河院制の「院」の前例がほぼ彰子!2019/07/20
MUNEKAZ
9
ライバルの定子が才気煥発なら、彰子はまさにお姫さまというか、親父のコマみたいな印象しかないのだが、それが根底から覆された。一条帝が亡くなり、未亡人となったのが24歳のとき。でもそれは彰子の人生のまだまだ序盤。87歳で大往生を遂げるまで、天皇家の家長として影響力を持ち続けた。著者は、3代の天皇を母として祖母として家父長的に後見した彰子の姿に、院政の先駆けを見る。また公卿の娘を女房に出仕させたことは、自身の荘厳化だけでなく、貴族女性の序列化にも繋がった。頼通だけでなく、彰子もまた道長の「後継者」であったのだ。2024/03/24
遊未
7
史料から年表が文章になったような本。それが何故か読みやすく面白いという不思議な一冊。ただ、天皇と藤原家くらいはともかく、乳母、家司の家系となるとほぼついていけません。八七の生涯は健康で周囲の人は次々に亡くなっていきますが、弟二人が姉に助けられながら長生きしているのは救いでしょうか。2022/02/20
うしうし
5
「はしがき」で書かれている「近年、摂関政治から院政への連続面が唱えられているが、じつは彰子こそ、その政治形態を結節点にいたことや摂関家の確立に重要な役割を果たしたことも明らかになった」(p7)というのが、本書の結論である。朧谷寿(『藤原彰子』ミネルヴァ日本評伝選)がほぼ同時期に刊行されているが、朧谷センセの著作より、「院政期への橋渡し」(p253)としての評価を強調していることが、本書の特徴。2024/03/08
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