内容説明
将軍頼経は多くの御家人を供に上洛、内裏や公家の邸宅、周辺の寺社等を訪問して鎌倉へ帰還した。頼経は京都滞在中に検非違使別当にも任命された。京都、ついで鎌倉に夜間警備のための篝屋が設置される。隠岐では後鳥羽上皇が没する。鎌倉深沢では大仏が造営される。執権北条泰時が没すると、孫経時が後を嗣ぎ、頼経の子頼嗣を新たに将軍とした。
目次
吾妻鏡 第三十二(暦仁元年(一二三八))
吾妻鏡 第三十三(延応元年(一二三九)
仁治元年(一二四〇))
吾妻鏡 第三十四(仁治二年(一二四一))
吾妻鏡 第三十五(寛元元年(一二四三)
寛元二年(一二四四))
著者等紹介
五味文彦[ゴミフミヒコ]
1946年、山梨県生まれ。1970年、東京大学大学院修士課程修了。現在、放送大学教授・東京大学名誉教授
本郷和人[ホンゴウカズト]
1960年、東京都生まれ。1988年、東京大学大学院博士課程単位取得。現在、東京大学史料編纂所准教授
西田友広[ニシタトモヒロ]
1977年、島根県生まれ。2003年、東京大学大学院博士課程中途退学。現在、東京大学史料編纂所助教(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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恵美
2
泰時が死去した1242年の記事が抜けているのが残念。2023/08/31
AR読書記録
0
久々に,ちゃんと幕府らしくお仕事してる記録が多かったと思う.ヨカッタヨカッタ... 一番印象に残っているのは4代将軍頼経の願文で,亡き妻にも言及していること.13歳にして,28歳になっていた2代将軍頼家の娘と結婚したというのは,もうばりばり政略結婚というほかないんだろうけど,ちゃんと夫婦のココロのつながりを築けていたみたいだなぁ,と.あと,鎌倉の大仏が完成! 「暦仁元年(1238)五月、壬辰、相模国深沢里の大仏の御頭が上げられた。周囲は八丈である」っていう,シンプルな一文だけなんですけどね.2013/05/22