内容説明
1967年2月、小西政継率いる山学同志会パーティは、マッターホルン北壁の冬期第三登に成功した。「容易な初登頂より困難な第二登」を理想とし、厳寒のアルプスに真のアルピニズムを求めた熱き想いは、40年以上のときを経た今日でも色あせることはない。のちにヒマラヤの北壁を次々と陥し、「ヒマラヤ鉄の時代」の牽引者となった小西政継の原点がここにある。
目次
北壁との闘い
山への憧れ―登攀計画の発想
冬のスイスへ
ツェルマット
北壁への準備―ヘルンリ稜登攀と北壁試登
岩と氷と寒気との闘い―ついに冬の北壁登攀
装備と食糧について
冬期アルプス登攀について
マッターホルン北壁テクニカルノート―山学同志会編
鉄の時代への進展
著者等紹介
小西政継[コニシマサツグ]
1938年、東京生まれ。18歳で山学同志会に入会。以後、国内・外で先鋭的な登攀活動を続け、冬期マッターホルン北壁第3登、冬期グランドジョラス北壁第3登、ジャヌー北壁初登、カンチェンジュンガ北壁等、時代の先端をゆく登攀の数々を記録する。また、日本山岳協会主催のチョゴリ(K2)北稜隊に登攀隊長として参加し、成功に導くなど、常に日本の登山界をリードし続けてきた。1996年10月、マナスルに登頂後、下山中に標高7800m付近で行方不明となる(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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ランフランコ
5
約50年前の登攀の記録。小西政継という名前は山の本を読んでいればよく出てくる。1970年代の日本を代表するクライマーの処女作。読む前から小西という人は日本山岳界の重鎮で良識溢れる人という話を目にしていた。その彼の若き日の記録なのですが、マジメさが伝わる文章で破天荒なタイプが多いクライマー達の本と比べるとそこはエピソードにパンチ不足感があるのは否めない。おもしろおかしく書くことを目的としていないので仕方ないですが。後半は完全に記録のようになっている。でもこの本が日本の山岳界に与えた影響は大きいらしい。2017/12/11
レコバ
3
装備や、地形、登攀レベル、テクニックなど微細な部分にまで踏み込んで書いているのが印象に残った。正直、門外漢の身には理解できない部分もあったが、後輩のために情報を残そうとする姿勢が感じられた。2019/09/08
Mirunovic
2
集団意識なのでしょうか…なぜこんなに“死”と身近に接するのか…。単純に車の運転であり、ロードバイクであり、当然登山も最悪“死”を意識するか否かの解釈はあると思います。リスクが高いと分かっていて行う事もスゴいのですが、止めるという選択も勇気がいる事だと改めて感じました。ただし読み物としてはイマイチな本でした。2016/08/31
梅子
1
直後のイギリス隊の登攀に比べたら洗練されていないかもだけど、夏のアルプスも未経験かつ初見で完登した強さは半端ない。マッターホルン北壁は同じ著者のグランドジョラス北壁より絶望感あった。強烈な岩場を死に物狂いで乗り越えた先のブルーアイスの絶壁とかほんと絶望しかない(しかもアイゼン落とす)。さらにまさかの山頂でのビバーク。もう圧倒的気合と根性で勝利をもぎ取った感じ。スポ根。
けーぴー
1
自分が産まれるよりも相当前の記録なのにそれを感じさせない臨場感。凄く読みやすかった。2013/04/07