内容説明
本書は二人の知識人を通じた、「アジア」という地域概念をめぐる思想史である。
目次
近代日本にとっての「アジア」
1 「アジア」という概念(ヨーロッパ生まれの地域概念;日本の伝統的世界観とアジア概念の受容;「アジア」概念の政治性)
2 岡倉天心―日本美術の構築とアジアへの呼びかけ(明治国家建設期の美術行政官僚;「輸入」「消化」「独立」の日本美術論;インド旅行とアジアへの目覚め ほか)
3 大川周明「復興亜細亜」と宗教学(宗教学と『新インド』;インド人革命家との出会い;アジアの反帝国主義と日本―日露戦争と第一次世界大戦 ほか)
岡倉天心と大川周明のアジア論
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
壱萬弐仟縁
13
TO図は、まさしくアルファベットTの字で、中世ヨーロッパ世界図。上がアジア、左がヨーロッパ、右がアフリカから成る(006頁)。010頁の五天竺(じく)が上、下が西川如見の「地球万国一覧之図」で、初めて見た。高校世界史の教科書や資料集にあればいいのに。アジアは一つといった、岡倉天心(019頁)。採るべきは採り、守るは守り、日本美術の独立を重んじるというスタンスであった(024頁)。ヨーロッパの栄光は、アジアの屈辱(030頁)。犠牲者を出さない社会経済、美術の発展の道はないのか、という意識は、地球市民らしい。2013/07/28
晩鳥
3
岡倉天心と大川周明が「アジア」という地域概念をめぐって展開した言論活動について分析し、近代日本にとっての「アジア」の意味を考える本。天心はアジアの復権と一体化を訴え、そのためにアジアの諸国民が自信の回復をすること、オリエンタリズムの克服が必要であると考えた。大川はイスラム諸国から日本までの広大なアジアに共通の特徴を求めた結果、近代ヨーロッパとの差異を「進歩」と「保守」に単純化した。両者とも最終的には東方(Orient)という概念への違和感を表明した。2022/07/16
うえ
1
両名とも本来の目的とは違うインド人との出会いが、英植民地主義への批判、亜細亜主義、そしてナショナリズムに向かっていくのは面白い●ただオランダが戦後インドネシアに「侵略」したのはやはり日本ではタブーなのか(オランダは警察行為と主張)。戦後はチベットも明確な中国領?●欧州では「アジアの範囲は当初、基本的に地中海世界に限定されて…東端はせいぜいがインド西部」「20世紀初頭のヨーロッパでは…イスラム世界を「近東」(1940年代に中東が一般化する)、中国や朝鮮、日本を中心とする地域を「極東」と区別する呼称が定着した2015/01/04
ハンギ
1
去年出版されたので読んでみた。岡倉天心と大川周明を扱ったものだが、 岡倉の方が親切に取り上げられており、大川はやや外在的な批判(侵略戦争のイデオローグ)としか見られていないと思う。まだ大川周明論は片付いていないのだろうか。岡倉が生前、「アジアは1つ」という有名な文言を日本人向けには言わず、もっぱら英文のみで披見していたのには驚いた。彼の死後、英文からの翻訳が始まるのは面白い。そして日中戦争が始まるあたりから、読まれることになるのは岡倉にとっては不幸としか言えない。 2012/05/15
amabiko
0
"Asia is one."は、本来ストレートな政治的言説として発せられたものではなかった。日本美術こそがアジアの文化的一体性を体現する、ということを英語で説いたThe Ideals of the Eastの冒頭に掲げられた一文。本書は覚三の生前は邦訳されなかった。つまり「亜細亜ハ一なり」は、覚三の没後、彼が「天心」として神格化されゆくなかで、本来の文脈とは切り離されてスローガン化していったということのようだ。しかし、覚三自身もまた文脈に応じて、この「アジア」の範囲を使い分けていたというから複雑だ。2013/07/06