内容説明
わずかな兵をもつ外来者から大名へ。伊豆の平定に五年もかかり、その間には相模・武蔵へ、甲斐へ、遠江へとめまぐるしく動きまわった。遅々としているようで、二か国平定という軍事的成功をおさめた。もう一つ、早雲の治者としての側面が重要である。検地を始めるとともに、領国全体の郷村の百姓に直接課税する仕組みをつくり、百姓を法的・政治的主体として認定した。これがその後の北条氏の領国支配政策の柱となった。
目次
新しい時代の扉を押し開けた人
1 都鄙を結んで
2 伊豆に自立す
3 獅子奮迅の活動
4 早雲の家臣団
5 治者の炯眼
終章 小田原城主四代と小田原の繁栄
著者等紹介
池上裕子[イケガミヒロコ]
1947年生まれ。一橋大学大学院経済学研究科博士後期課程単位取得退学。専攻、日本中近世移行期史。成蹊大学名誉教授(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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coolflat
13
1頁。北条早雲(1456~1519)は伊豆と関東に広大な領国を築いた戦国大名北条氏の初代である。一代で伊豆と相模を平定し、北条氏発展の基礎を築いた。かつては早雲は氏素性がわからず、素浪人から戦国大名に成り上がった、下克上の時代を代表する人物という見方も流布していた。しかし、近年の研究により室町幕府の政所執事伊勢氏の一族で、備中荏原郷に所領を持つとともに、将軍の近臣として京都で申次などをつとめていた伊勢盛時であることがわかった。父盛定とともに中央政界の有力者だったとみられ、イメージが一新された。2019/04/04
MUNEKAZ
6
北条早雲のコンパクトな評伝。幕府奉公人が出自で、関東では外来者だった早雲だが、地震や津波といった天災を奇禍として、伊豆・相模に進出したいったのではないかという点は面白かった。また早雲自身の他に重臣層にも京下りの「外来者」が多く、それ故にしがらみを排して百姓を検地などで直接把握する体制が築けたとするのも興味深い。百姓との向き合い方を評価に入れるのが、著者らしいと感じる。2017/10/17
さとうしん
6
北条早雲=室町幕府の申次衆で有力者層の伊勢盛時として語られる評伝。伊勢氏同族との関わりについてもちょこちょこと触れられている。「外来者」として自らを意識していた早雲が、当時の通例とは異なって家臣を通さずに直接百姓と向き合おうとしたという話が面白い。2017/08/26
竜玄葉潤
2
神奈川育ちとしては、早雲=小田原=相模の印象が強いが、実はあまり関係していない。北条=関東のイメージも強いが 、実は早雲はそうでも無い。2023/08/30
tmt
1
この本を読んで印象に残った点が2つある。 まず、北条早雲の持つ野心の強さ。伊豆を平定した後は相模・武蔵、甲斐、遠江と積極的に出兵し、時には天変地変を好機と見て被災地に攻め込む容赦のなさもあった。自身の支配域を広げることに強い関心があったことがうかがえる。 そしてもう1つは、百姓を政治的・法的な主体と認める、常識にとらわれない柔軟さ。郡代・代官らの横暴を防ぐことができる、この合理的な施策を早くから導入していた早雲の治者としての優秀さに感心させられた。2022/02/15