出版社内容情報
市民社会の分断を防ぐための方策とは。 ナショナリズム、多文化主義、マイノリティ… 政治をめぐる理念と現実、その交錯と葛藤。これまで政治文化には、なんらかの「本質」があるかのように語られ、思考方法や行動類型が不変であるかのように見なされてきた。そうした文化本質主義がもたらす政治性はいかにすれば批判、無化できるのか。本書では、まず政治理論は文化をどのように扱うべきかを再検討し、さらに文化を利用する政治のありかたについて論じる。国家や民族という枠がどのように文化を利用しつつ政治を動かそうとしているか。またそれに市民概念は対抗できるのか。その可能性を探る。
序 章 政治にとって文化とは
第?部 政治の文化?
第1章 政治文化──政治を文化として語ること
1 日常と政治
2 人間性研究から政治文化論へ
3 政治文化論の政治性
4 政治文化論の目的
第2章 なぜ市民社会は少数者を必要とするのか──出生と移動の再理論化
1 「市民とは誰か」を決めてきたのは誰か
2 非市民と国民国家
3 少数者の自己認識という陥穽
4 国境を越える人々、越えない人々?
5 少数者の必然性
第3章 ナショナリズムと自己批判性
1 リベラル・デモクラシーが利用するもの
2 ナショナリズムを擁護する理由
3 リベラル・ナショナリズムとその限界
4 もう一つの集団的想像力
5 多声法と自己批判性
第?部 文化の政治?
第4章 「他者」理解の政治学──多文化主義への政治理論的対応
1 政治統合と「他者」
2 多文化主義における国家観の問題
3 集団的アイデンティティの承認
4 マイノリティ再考
5 他者理解の組織化へ向けて
第5章 市民文化論の統合的機能──現代政治理論の「自己正当化」について
1 市民文化とテロリズム
2 ウォルツァーと市民宗教
3 コミュニタリアンと政教分離
4 〈10・7〉と市民社会
第6章 「非常時デモクラシー」の可能性──9・11とアメリカ的なものについて
1 国家による殺人の正当化?
2 同時多発テロ以降の暴力連鎖?
3 「アメリカ的なもの」の罠?
4 非常事態によるデモクラシー形成は可能か?
第7章 アメリカ国家思想の文化的側面──その政府不信と体制信仰について
1 自己理解としての体制認識
2 民主主義的な体制批判は可能なのか
3 体制・文化・多元性
4 政府不信とフィランソロピー?
5 政府不信と左翼
6 政治実践としての自己理解
第8章 政治理論における〈有効性〉?──高畠通敏と戦後日本
1 戦後日本の民主化と政治理論
2 丸山眞男『政治の世界』と高畠政治学
3 政治の主体と研究の主体──「全身政治学者」としての高畠
4 戦後政治学の倫理性
5 実 践
6 日常性と可能性の理論化
終 章 個人の経験と政治の状況──ロベール・ルパージュ〈八八七〉論
1 “Speak White”?
2 「自由ケベック万歳!」?
3 個人の演技、集団の政治
4 時間と空間
5 ヒア、此処
註
主要参考文献
あとがき
事項索引
人名索引
越智 敏夫[オチ トシオ]
著・文・その他
内容説明
これまで政治文化には、なんらかの「本質」があるかのように語られ、思考方法や行動類型が不変であるかのように見なされてきた。そうした文化本質主義がもたらす政治性はいかにすれば批判、無化できるのか。本書では、まず政治理論は文化をどのように扱うべきかを再検討し、さらに文化を利用する政治のありかたについて論じる。国家や民族という枠がどのように文化を利用しつつ政治を動かそうとしているか。またそれに市民概念は対抗できるのか。その可能性を探る。
目次
政治にとって文化とは
第1部 政治の文化(政治文化―政治を文化として語ること;なぜ市民社会は少数者を必要とするのか―出生と移動の再理論化;ナショナリズムと自己批判性)
第2部 文化の政治(「他者」理解の政治学―多文化主義への政治理論的対応;市民文化論の統合的機能―現代政治理論の「自己正当化」について;「非常時デモクラシー」の可能性―九・一一とアメリカ的なものについて;アメリカ国家思想の文化的側面―その政府不信と体制信仰について;政治理論における“有効性”―高畠通敏と戦後日本)
個人の経験と政治の状況―ロベール・ルパージュ“八八七”論
著者等紹介
越智敏夫[オチトシオ]
1961年愛媛県生まれ。立教大学法学部卒業。慶應義塾大学大学院法学研究科政治学専攻博士課程単位取得満期退学。立教大学法学部助手、シカゴ大学研究員、ニューヨーク大学研究員などを経て、新潟国際情報大学国際学部教授(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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