内容説明
「社会」、すなわち自らが生きている世界を研究してきた著者にとって、生涯そのものが「学問」であった。本書は、片々極まりない社会の変化を普遍的に捉え、「社会変動の理論」という独自の視点で精緻な研究を積み重ね、国内外に大きな影響を与えてきた第一人者が紡ぎだす、学問との格闘、さまざまな知との交流の記録。
目次
思い出し日記の試み
第1部 生い立ちから博士論文まで(生い立ちの記;社会学事始め;二つの博士論文)
第2部 アメリカ、ヨーロッパ、アジア(これがアメリカだ;SSM調査とアメリカ留学;オーストラリアからヨーロッパへ;憧れのドイツ―ボッフム大学とテュービンゲン大学;中国語ができない私の中国経験―南開大学;私の韓国経験)
第3部 理論社会学、西洋社会学史、日本社会論(私の「理論社会学」の形成;日本の近代化と西洋社会学史;「中流意識」の崩壊と「格差社会」の到来)
思い出し登山日記
著者等紹介
富永健一[トミナガケンイチ]
1931年生まれ。1959年東京大学大学院社会学研究科博士課程中退(助手就任)。社会学博士、経済学博士。東京大学教授、慶應義塾大学教授、武蔵工業大学教授を経て、東京大学名誉教授、武蔵工業大学名誉教授、日本学士院会員(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
壱萬参仟縁
2
2007年高田保馬を京大で聴講した記憶がある。富永名誉教授は社会学博士でも経済学博士でもあり、社会科学としての経済社会を解析してこられたこの分野の重鎮である。先生は貧乏学生だったという(72ページ)。苦学して学位を取る、というのは、どの学術分野においてもなかなかできたことでない。尊敬に値する。助手のポストが空いて横滑りしたのは幸運、というが(73ページ)。「経済発展が人間を幸福にをしないとすれば、それは近代化がもはや楽観的にのみ受け止められ得ない段階に到達している」(311ページ)。原発事故で実感される。2012/10/28
山口淳
0
文化功労者で東京大学名誉教授の理論社会学者、富永健一氏の自伝。学問遍歴が丹念に記述されており、社会学、学史の概説書としても役立つ。学者としてのライバル心も行間から垣間見えた。2019/11/09