出版社内容情報
男集団との境界を生きる存在の不思議に迫る。
内容説明
男性スポーツ集団に深く関わりつつもその一員にはなりきれない、「境界」を生きる存在―女子マネージャー。新聞・マンガなどのメディア分析、関係者へのインタビューを通して、その誕生の背景、議論を呼びつつも増加していった理由、アイデンティティの不思議に迫る。
目次
女子マネージャーの誕生とそのアンビバレンス
第1部 女子マネージャーの系譜学(戦中・戦後の男子マネージャー;女子マネージャーの誕生)
第2部 メディアにおける女子マネージャー像の構築(新聞報道の「女子マネージャー観」の揺れ動き;少女マンガのなかの女子マネージャー;新聞における「女性差別論調」の登場)
第3部 アイデンティティ―女子マネージャーの生きがいと物語の創造(男集団の「境界」を生きる;「男」になることの困難)
女子マネージャーをめぐるジェンダー構造
著者等紹介
高井昌吏[タカイマサシ]
1972年,兵庫県生まれ。2003年,関西大学大学院社会学研究科博士後期課程修了(マス・コミュニケーション学)。関西学院大学・甲南大学・同志社女子大学・成安造形大学・大阪学院大学非常勤講師
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感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
ゲオルギオ・ハーン
27
『女子マネージャー』はやったことも関わったこともないので不思議な存在だと思っていた。本書は女子マネージャーの誕生と展開、なぜ女子マネージャーをすることを選んだのかを統計、新聞記事、インタビューからまとめ上げている。そもそも部活動におけるマネージャーという役割は戦前からある。部費のために寄付金を集め、選手の練習を補助・叱咤激励し、監督と選手の間に入ってチームの潤滑油となる。しかし、男子の部活動だから男子が担っており、女子マネージャーが誕生するのは1960年代からとなる。2023/12/10
Toska
15
今でこそ女子マネージャーという存在に疑問を持つ者はいないが、戦後のある時期まで運動部は完全な男の園で、「女などにマネージャーは務まらない」との言説がまかり通る世界だった。高度成長期以降に生じたマネージャー「女性化」の経緯から説き起こし、ホモソーシャルな社会と切り結ぶ女性たちの内面まで掘り下げた意欲作。面白いですよ。自分も高校時代まで運動部在籍だったがマネージャーはおらず、そうした存在を間近に経験できなかったのが残念。2024/09/07
kenitirokikuti
8
図書館にて。再読▲高校野球の女子マネとは何であったのか、多角的に迫る。そもそも、女性にとっては野郎のスポーツは野蛮というイメージであった(お芝居とは違う)。マネージャーは補欠や準レギュラー的なものであり、のちの女子マネとは異なる。高度成長期になると、女の高校進学率と、男の大学進学率が上がり、高3の引退を女子マネで補うようになった。80年代、アイドル映画のヒロイン的な女子マネ像ができ、夜の女子もそれに乗る。90年代、サッカーやバスケの人気が高まり、別の角度から女子マネ美化が始まる。2021/01/10
kenitirokikuti
8
スポーツとジェンダーの社会学である。甲子園で女子マネがベンチに入らせないのは性差別ではないかうんぬんという議論は知っていたが、推移を追うと違った構図が見えてくる▲昭和の半ばに大学受験の重みが増み、男子高校生の運動部率が低下した。反対に、女子の高校進学率は向上する。進学校から女子マネ採用が増加し、一般化する▲メディアに見る女子マネ。昔は女子の高校進学率は低かった、ということを忘れていたのでちょっとショックである。いまは高校に進学しないってのかなりワケありだよな。…つづく2017/11/19
sasashin
6
マネジメントしない女子マネージャーの発生と変遷、新聞で見る女子マネへの視線、少女マンガにおける扱われ方、「女子マネージャーの物語」を内面化した現役女子マネへのインタビューなど、ひっじょーに面白い。そして学校スポーツはホモソーシャルでミソジニーでまじ気持ち悪い。一度滅びればいいと思う(雑な感想)。2014/10/14