出版社内容情報
60年代末にもの派を主導した美術作家、李禹煥。今日の芸術表現への批判から近代世界観史の反省をへて新たな芸術観へ至る道を探る。〈通常の感覚で一本の木を、そのままでいろいろな未知性を含んだそれとして見ることは容易でない。木が木であるという、いわば超越性のために「木」にする行為が必要なのだ。そこらへんのあるがままを「アルガママ」にズラすことが表現行為、作品制作となり、それによってあるがままが反省的に知覚されるということである。従って作品とは、外界のものを意識で洗い直すことと、再び外界へ飛躍的に連動することの両義的な媒介項でなければならない。〉(本文より)
李禹煥の自己形成にとって大きな意味をもった60年代末から70年代初めにかけて発表された文章の数々は、硬直した理性と物象化を暴く近代批判の試みであると同時に、新たな表現論を模索するものとして、版を新たにしながら読み継がれてきた。
70年代とは何だったのか、もの派の発想はどういうものだったか、表現はどこから始まるのか――こうした問いに、いま確かなヒントを与えてくえる評論集、待望の復刊。
序
観念崇拝と表現の危機――オブジェ思想の正体と行方
出会いを求めて
認識から知覚へ――高松次郎論
存在と無を越えて――関根伸夫論
デカルトと過程の宿命
出会いの現象学序説――新しい芸術論の準備のために
あとがき
李禹煥[リ ウファン]
美術家。1936年、韓国慶尚南道に生まれる。文人として知られた黄東樵から幼年期を通して詩・書・画を教わる。1956年、ソウル大学校美術大学を中退し、来日。1961年、日本大学文学部卒業。1967年、東京・サトウ画廊にて新しい試みの最初の個展、以後、前衛的な芸術表現を追求しながら国際的に活躍。1968年頃から起こった「もの派」運動の柱として知られる。パリ・ビエンナーレ、カッセル・ドクメンタ、ヴェネツィア・ビエンナーレ他多くの国際展に出品、デュッセルドルフ美術館、パリ・ジュ・ド・ポム美術館、神奈川県立近代美術館、ボン市立美術館、横浜美術館、ブリュッセル王立美術館、グッゲンハイム美術館、ヴェルサイユ宮殿庭園など、国内外で個展。前パリ国立エコール・デ・ボザール招聘教授。
内容説明
李禹煥の自己形成にとって大きな意味をもった60年代末から70年代初めにかけて発表された文章の数々は、硬直した理性と物象化を暴く近代批判の試みであると同時に、新たな表現論を模索するものとして、版を新たにしながら読み継がれてきた。70年代とは何だったのか、もの派の発想はどういうものだったか、表現はどこから始まるのか―こうした問いに、いま確かなヒントを与えてくれる評論集、待望の復刊。
目次
観念崇拝と表現の危機―オブジェ思想の正体と行方
出会いを求めて
認識から知覚へ―高松次郎論
存在と無を越えて―関根伸夫論
デカルトと過程の宿命
出会いの現象学序説―新しい芸術論の準備のために
著者等紹介
李禹煥[リウファン]
美術家。1936年、韓国慶尚南道に生まれる。文人として知られた黄東樵から幼年期を通して詩・書・画を教わる。1956年、ソウル大学校美術大学を中退し、来日。1961年、日本大学文学部卒業。1967年、東京・サトウ画廊にて新しい試みの最初の個展。以後、前衛的な芸術表現を追求しながら国際的に活躍。1968年頃から起こった「もの派」運動の柱として知られる。パリ・ビエンナーレ、カッセル・ドクメンタ、ヴェネツィア・ビエンナーレ他多くの国際展に出品(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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A.T