出版社内容情報
デリダ没後10年、胸を打つ追悼文に始まり、後期デリダの著作を論じ、今も生きる師の思想を緩みない日本語で綴った、初出を含む論集
デリダ没後10年、胸を打つ追悼文に始まり、『弔鐘』『盲者の記憶』『マルクスの亡霊たち』『ならず者たち』『精神分析の抵抗』など、デリダの主要著作を論じ、日本の歴史における嘘を、「かのように」というデリダ語からえぐり出す講演など、これまで未発表だった論考を加えて集成。今も生きる師デリダの思想を、師恩と友愛の間で緩みない文章で書き連ねたみごとな文学的思想書である。
〈友〉なるデリダ/断片、あるいはデリダの「ように」/絵画に<声>が来るとき――アトラン「カヒナ」(一九五八年)/祈りと無神論――『名を救う』/リス=オランジス、二〇〇四年八月八日/名のおかげで * 〈裸〉の師/盲者のオリエント/怪物のような「かのように」――日本における政治上の嘘の歴史のために/デリダにおけるヘーゲル――『弔鐘』における〈晩餐〉の記号論を中心に/レジスタンスを愛すること――『精神分析の抵抗』/葬送不可能なもの――『マルクスの亡霊たち』/来たるべき民主主義への挨拶――『ならず者たち』/戦略、スタイル、情動――ジャン=リュック・ナンシーへの三つの問い/ * 解体と政治/「死せる叡智」と「生ける狂気」――〈さまよえる星〉の比較文学/神の裁きからの〈演劇〉の誕生――『バルコン』から『オルダリ』へ/明かしえぬ共犯性/ * あとがき
内容説明
デリダ没後十年。ひとつの生の終わりの確認ではなく、遂行的な死後の生の約束として。私たちに残された時の、思考の向かうべき方位を指し示すかのように。
目次
“友”なるデリダ
断片、あるいはデリダの「ように」
絵画に“声”が来るとき―アトラン「カヒナ」(一九五八年)
祈りと無神論―『名を救う』
リス=オランジス、二〇〇四年八月八日
名のおかげで
“裸”の師
盲者のオリエント
怪物のような「かのように」―日本における政治上の嘘の歴史のために
デリダにおけるヘーゲル―『弔鐘』における“晩餐”の記号論を中心に〔ほか〕
著者等紹介
鵜飼哲[ウカイサトシ]
1955年東京都に生まれる。フランス文学・思想専攻。1982年京都大学大学院文学研究科修士課程修了。1984年から89年までパリ第8大学に留学。現在、一橋大学大学院言語社会研究科教授。『インパクション』編集委員(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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