出版社内容情報
2013年夏に逝った作家が遺した最晩年の日記。聖書朗読と執筆、ヨーロッパへの旅、現代社会に対する批判。死に向かう孤独な思索。
二〇〇六年 二〇〇七年 二〇〇八年 二〇〇九年 二〇一〇年 解題(鈴木晶)
内容説明
聖書朗読と思索と執筆。茅ヶ崎のホームに遺された独り居の日記。
目次
二〇〇六年
二〇〇七年
二〇〇八年
二〇〇九年
二〇一〇年
著者等紹介
高橋たか子[タカハシタカコ]
1932年3月2日、京都生まれ。旧姓岡本、本名和子(たかこ)。小説家。京都大学フランス文学科卒業。在学中に知り合った高橋和巳と結婚、鎌倉に居住。1971年、夫和巳と死別。その後、小説を書き始めた。カトリックの洗礼を受けている(洗礼名はマリア・マグダレーナ)。著書『空の果てまで』(1973、新潮社、田村俊子賞)『ロンリー・ウーマン』(1977、集英社、女流文学賞)『怒りの子』(1985、講談社、読売文学賞)『きれいな人』(2003、講談社、毎日芸術賞)ほか多数。2013年7月12日、心不全のため死去(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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どんぐり
65
2013年7月12日に他界した著者が遺した2006年6月15日―2010年6月26日までの“その日その日の思い”のメモ帳。高橋たか子の作品は、20代の頃に読んだ『誘惑者』『空の果てまで』は強烈な印象として残っているが、彼女が修道女となってフランスに渡ってからは、読む機会もなくなった。この晩年の彼女のメモ帳からは、欲望がまるだしの日本人や複合的な非文化性の日本という国の「汚さ」を非常に憂いており、日本に対して不協和音と同時に虚無感を抱いていたようだ。文学に対しても「文学はヨミモノとなってしまった――才能ある2014/02/03
奥澤啓
51
(続き)私はひとりの作家を感情移入するほど読み込むことがあり、高橋たかこはそのひとりであった。自宅近くに蔵書数40万冊という大きな区立図書館があり、そこには、たかこ女史の本はほとんど揃っているのだが、一冊も開架になっていないことを最近知った。読む人がいないのだろう。2013年7月12日没。解題は女史の私設秘書のような存在でありつづけた翻訳家の鈴木晶による。鈴木氏は40年近くの歳月を高橋たか子に寄り添いつづけた。高橋和巳の著作権をも管理していたという。2015/06/16
奥澤啓
40
(続き)他の評にもあるように、現代日本社会を睥睨し、自身を知的選良であるかのようにとらえる自意識には閉口する。たしかに、60年代、70年代には知識人対大衆という図式があった。私は本当の意味での知識人という存在は、日本では加藤周一で終わったと考えているのだが、一般的にはサルトルが死んだ頃が、この言葉は私語になったといいのではあるまいか。実は知識人とは何かという問題は、一冊の本を書く必要があるほどあつかいにくいのだ。とはいえ、また、ひとり、戦後活躍した重要な作家が鬼籍にはいったかという思いが強い。2015/06/16
みねたか@
38
晩年の作家が日々考えたことの記録。強い自意識。インテリ、神と向き合う者、言葉を著わす生業の者としての自信と矜持。思考も感覚も全てが自分自身であるという強い意識。その言葉は強靭で、ときに鋭い刃のように読む者に迫る。一方で、自らの死を意識する中でのつぶやきは深く静かで、作家自身が述べる「年をとらぬと決して見えてこない何か深い広いことがある、と気づくようになった」という世界の一端を垣間見る。あげこさんのレビューで知った著者そして本書。これを読んだからにはその作品世界に踏み込まないわけにはいかない。2021/10/29
踊る猫
33
強い「知性」もしくは「理性」の力を感じる。個人的にはこの著者とはどうしたっていくつかの見過ごせない部分で「合わない」と感じるが(いかにもフランスを美化しすぎだしインターネット時代の若者たちにも手厳しすぎる)、それでも誰にもおもねらず思索を練り己自身と愚直に対話を重ねる態度は感服せざるをえない。単独者、という言葉が似合うと思った。それこそシモーヌ・ヴェイユのような書き手が己と対話を重ねて独自の作品世界を織りなしていったように、この著者も日記に託して精神を鍛えたのではないか。異論はあれど無視できない著者と思う2025/07/06