内容説明
死の予感とともに“未知の国”へ。お供は猫のピエロ。過酷で壮麗な自然、友人たち、深い気鬱、読書と詩作。「楽天主義を手放さないこと」。サートン最後の日記。
著者等紹介
サートン,メイ[サートン,メイ][Sarton,May]
1912‐1995。ベルギーに生まれる。4歳のとき父母とともにアメリカに亡命、マサチューセッツ州ケンブリッジで成人する。一時劇団を主宰するが、最初の詩集(1938)の出版以降、著述に専念。小説家・詩人であり、日記、自伝的作品も多い
中村輝子[ナカムラテルコ]
北海道に生まれる。東京大学社会学科卒業後、1962年共同通信社入社。文化部記者、編集委員、論説委員を経て、98年退社。現在、立正大学客員教授、ジャーナリスト
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感想・レビュー
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ネギっ子gen
60
【死は、今のわたしの問題を解決してくれる唯一のものだけれど、もちろん死にたくはない。なんとかプロザックが効きますように。しかも便秘していて、強い下剤を飲まなければならず、最悪】メイ・サートンの最後の日記。<今のわたしのように紛れもなき老齢期に入ると、この暮らしを維持し、生かしていくために、いかに日々の枠組みというものが重要か、ますます気づくようになる。骨抜きのからだにでもなったら、ただ四肢があちこち向いてとりとめなくなるのと同じで、きちんとした日課がなければ一日は崩壊し、混乱するばかりになるだろう>と。⇒2025/08/28
miyu
28
これで終わりかという思いが込み上げてきて後半は逸る気持ちを抑えつつ読んだ。いつにも増して明瞭な文章に「ほんとに80代?」と感じたが書かずに口述を録音してからの書籍化と知る。自然を愛し人を愛し相棒としてのピエロ(猫)を愛するサートン。時に己の文壇上の不遇を嘆きつつも各地(各国)から届く手紙や何かと心をかけ続けてくれる隣人友達の存在に助けられ「わたしは幸せだ」と語る姿が清々しい。そこには物書きとして油の乗りきった頃の小気味の良い姿は既に見受けられないが、物忘れのひどさを嘆く姿は愛おしくもある。とてもよかった。2020/07/24
tom
18
82歳、詩人、ガンからのサバイバー。雪に埋もれる町に住む。体のあちらこちらがヘタってしまって、階段の昇り降りにも一苦労。ちょっと危なっかしいけれど、運転もする。詩人としての社会的評価は、本人が望むほどには高い物ではない。そのことに、いつもイラついている。自伝を書くという人のインタビューを長年受けているが、どうも怪しいと疑心暗鬼。でも、彼女の詩を愛してくれる人が多数いて、しばしばファンレターや感想文が届く。これが幸せ。お花を送ってくれる人も多数。少しも孤独でない82歳の一年間の日記。けっこう読む値打ちあり。2020/04/11
やまはるか
15
「独り居の日記」に比べて老いや健康などの記述が多くなっている。サ―トンが亡くなる一年前、アメリカ東海岸の海の見える一軒家での一人暮らしの記録。記憶に残ったことばを幾つか。「寂しさが募って、そこらじゅうに電話をかけた。誰もがつらい思いをしていた。やがて一時半、フレッド・ロジャーズが電話をしてきた。いのちが救われるような声。」「これまでも言ってきたように自己防衛の気持ちから、わたしは現在に生きていると切に願う。」「彼が1934年の日記から自分のなかの「子どもが語りおとなが記す」を引用していることに心打たれた」2025/08/25
きゅー
13
彼女にとって言葉は神聖なものであり、嘘や虚飾で飾り付けるものではないのだろう。そして、これこそが彼女の日記が多くの人から愛される理由でもある。この年になっても取り繕うことなく怒り、悲しみ、喜び、涙を流す。彼女は「なぜみんなが日記をそんなに好きなのかわからない」と書いているが、まさにそのように書けるからこそ好かれるのだ。メイは孤独な家に住んでいると言うが、ほぼ毎日誰かが訪れ、ファンレターや花が届いている。誰かを愛し、そして同時に誰かから愛される素晴らしい素質を持った人だったのだろう。2020/06/18