出版社内容情報
通り魔。クレーム魔。はき違えた「自由」。戦争。
世の中で「やりたいようにふるまう」「己の思うままに行動する」ことが横行している。
社会的な生物であると同時に、「個」でもある「人間」という存在。
個が好き勝手に生きることで、社会には軋轢が生じ、集団のストレスが増していく。
「恣意的」であるとはどういう状態か。どこまでが許され、何が問題となるのか。
著者は、ソシュールやプラトン、デカルト、ハイデッガーといった哲学者・社会学者の著作に立ち返り、哲学的な視点から現代の「個と社会」の在り方について考察する。
才気溢れるのに、愚かなことをしでかす生き物――わがままで「恣意性」に満ちた生き物「人間」の本質にせまる一書。若い世代に向けて、現代的な視座に立った「生きた哲学」の入門書の登場だ。
一部 「恣意性」とはどのようなものなのか
一 「恣意性」は人の社会にどのように現れるか
二 人が持つ「恣意性」の特異性――他の動物は何でないのか
三 「恣意性」がもたらした人の社会の在り方
四 「恣意性」から来る意味付けのブラス面
五 社会機構の基礎となる意味付け
二部 「恣意性」の起源・・・・・何処から来るのか。
六 言語とは何か
七 「恣意性」はどのようにして生まれたか
八 迷いと定位と生き甲斐・・・・アイデンティティ
内容説明
才気溢れるのに、愚かなことをしでかす生き物「人間」。その本質を成す「恣意性」の淵源に、市井の哲学者が迫る!
目次
1部 「恣意性」とはどのようなものなのか(人類の持つ「恣意性」は人の社会にどのように現れるか;人が持つ「恣意性」の特異性―なぜ他の動物にはないのか;「恣意性」がもたらした人の社会の在り方;「恣意性」から来る意味付けのプラス面;社会機構の基礎になる意味付け)
2部 恣意性の起源―何処から来るのか(言葉とは何か;「恣意性」はどのようにして生まれたか;迷いと定位と生き甲斐―アイデンティティの問題)
著者等紹介
四方一偈[ヨモイッケイ]
1942年静岡県生まれ。静岡大学を卒業後、京都大学文学部卒業。高校教師を務めたのち、小倉庫業を起業。経営のかたわら、40年以上ドイツ語の哲学原書講読会を主宰。主な著書に『エゴ メタボリック―「自己中」的無責任への警鐘』(万葉舎)、『奇才はそばにいた!―中卒で35の特許をとった鈴木君の物語』(西田書店)、『停滞打破のための哲学的考察』(講談社エディトリアル)など(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。
-
- 和書
- 2060デジタル資本主義