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内容説明
忘れられない先達への、東京の街への、レクイエム16章。類いまれなる観察者=“文士”による、人の、街の、時代の記録と論考―。
目次
映画『マイ・バック・ページ』のこと
織田正信のこと
久世光彦さん中村勘三郎さんそして私の父のこと
六月五日と六月六日の夜のこと
丸谷才一さんのこと
中村勘三郎さんのこと
有楽町界隈のこと
中川六平さんのこと
関井光男さんのこと
松山俊太郎さんのこと
赤瀬川原平さんのこと
竹田正一郎さんのこと
東急プラザ渋谷のことそして銀座の「よし田」そばのこと
車谷長吉さんのこと
出口裕弘さんのこと
野坂昭如さんのこと
著者等紹介
坪内祐三[ツボウチユウゾウ]
1958年、東京都生まれ。早稲田大学大学院修了。「東京人」編集部を経て、書評、評論など執筆活動を始める。『慶応三年生まれ七人の旋毛曲り』で第十七回講談社エッセイ賞受賞。評論、随筆、対談、日記エッセイ、解説等多彩に活躍(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
もりくに
49
本書は坪内祐三さんが責任編集者の一人だった雑誌「エンタクシー」に連載した「あんなことこんなこと」に書き下ろしを加えて、改題出版。タイトルの説明はない。(なんで「昭和」なんだろう?)スタート当初はテーマを決めず、興味に感じたことを書いていたが、徐々に「知り合い」の追悼録となった。取り上げられた人は、丸谷才一さんや赤瀬川源平さんなどの著名人から、私の知らない関井光男さんや竹田正一郎さんまで多彩。その中に一番彼に影響を与えたであろう「山口昌男」さんは含まれていない。原稿用紙20枚では書ききれなかったのだろう。→2020/12/21
阿部義彦
16
図書館本。2016年、扶桑社。扶桑社の季刊誌『en-taxi』に連載されていた坪内さんの長めのエッセイ集です。今はもう無い雑誌ですが、福田和也、坪ちゃん、柳美里などが責任編集でした。一度も買った事は有りませんでした。評論家!小谷野敦がイチャモン、難癖が芸風なのと同じように坪内さんは殆ど他人の間違いの指摘、ボヤキが芸だと思いますが、ここでは殆どが亡くなった方への追悼や思い出が中心の様なのであまり不愉快にならずに読めました。赤瀬川原平さんは私も大好きでしたので好ましく読みました。そして坪ちやん、安らかに。2023/07/29
いのふみ
5
ここに書いてあるような体験はしていないのに、坪内さんの本には毎回懐かしい気持ちにさせられる。神保町あたりの出版社が入っている雑居ビルや、文壇バーや銀座の裏通りのほの明るさ、渋谷の喧騒が見えてくるようだ。そして何より、中村勘三郎や野田秀樹・唐十郎といった演劇人、さらには丸谷才一・野坂昭如などの出版人たちが往来するそうした情景に「羨ましい」という気持ちにさせられる。2021/12/23
go
4
これまた面白い。坪内さんの全集とか、文庫コレクションとか出ないかな。いろんな出版社にばらけていて、これは文庫にもなってないのが勿体ない2021/08/04
田中峰和
3
坪内が責任編集を務めていたエンタクシーに掲載した連載記事だが、雑誌は既に休刊済み。掲載は2011年以降だが、内容は昭和を駆け抜けた文人の死を悼むものばかり。冒頭のマイ・バック・ページは川本三郎の原作の書評と映画評だけ死とは無縁だが、当時の政治状況がわかって面白い。浪人留年を経て4年かけて修士了のため、社会に出たのが28歳。実業家の父のコネで入社した出版社で「東京人」の編集者となった坪内。久世光彦、中村勘三郎など著名人の人柄がしのばれる。10年以上の療養後、亡くなった野坂昭如の葬儀列席者の少なさが寂しい。2016/07/22