目次
第1章 常識を疑う(はたして、「いい日ばかり」が続くでしょうか;いったい何を「安心」したいのか ほか)
第2章 ひとつのことに捉われない(「人生とは何ですか」と問われたら…;なぜ「禅問答」を繰り返すのでしょう ほか)
第3章 「我を忘れて」生きる(「我を忘れて」何かをしたことがありますか;禅ではなぜ「足元を見なさい」というのでしょうか ほか)
第4章 「接心」がもたらすもの(接心すれば、清々しい境地が生まれます;子どもは、なぜ禅的なのでしょう ほか)
著者等紹介
浅井義宣[アサイヨシノブ]
大正14年、愛知県生まれ。長岡禅塾第三代塾長・老師。7歳で禅寺に入り、腕白な小僧生活を送る。京都での学生時代に恩師・森本省念老師と出会う。学生生活の後、岐阜県伊深の正眼寺、三島の龍澤寺、京都の相国寺それぞれの僧堂で厳しい雲水修行を長年にわたって行う。また米国シェラネバダ山中で裸行に打ち込み、欧米の禅学者や詩人らとも親交を結ぶ。昭和34年、森本省念老師が第二代塾長を務める京都府の長岡禅塾に雲水として参禅、のち嗣法し、第三代塾長・半頭大雅老師となる(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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