内容説明
朝遅く、宿の窓辺に閃々と降り注ぐ光の中で、冬の蠅は手を摩りあわせ、弱よわしく絡み合う。―透明感溢れる文章が綴られた美しい療養地の情景が、冷酷な真理を際立たせる、梶井基次郎『冬の蠅』。「初めて春に逢ったような気がする」そううそぶいた級友の岡村は自死を遂げた。―若者の胸に去来する青春の光と陰を描いた、中谷孝雄『春の絵巻』。「癩病」を患い虚無に浸る尾田は同病の義眼の男に出会い、その死生観を大きく揺さぶられる(北條民雄『いのちの初夜』)。真摯に生き、紡ぎだされたもう一つの青春。
著者等紹介
梶井基次郎[カジイモトジロウ]
1901‐1932。大阪生まれ。第三高等学校在学中から執筆活動を始め、「青空」創刊号に『檸檬』を発表。肺を患い早逝したが、『ある心の風景』『Kの昇天』『闇の絵巻』など、後世に残る作品を多数残した
中谷孝雄[ナカタニタカオ]
1901‐1995。三重県津市生まれ。梶井基次郎と「青空」を創刊し、『春の絵巻』で文壇での地位を確立した
北條民雄[ホウジョウタミオ]
1914‐1937。ソウル生まれ。19歳でハンセン病を患う。川端康成と文通しながら病院内で執筆活動を行う。『いのちの初夜』が芥川賞候補になるなど、24歳の若さでこの世を去るまで執筆を続けた(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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やすらぎ
187
太陽の光が私を傷つける。落日があらわれ閉ざされた灯りの下、天にただ止まりただ生きる、冬の蠅。なぜ完全な闇は存在しないのだろう。歩け。歩け。消えてしまわないうちに。それが青春。それが来ないと待つのもまた青春。友よ恋も我も永久に左様なら。感情は埃を被り風は遠くに消え屑となり失う空の色。打ち寄せる白波が真下に広がる。振り返るとちょっとした失望だけは霞んでいく。また振り返ると海辺が茜色に染まっている。花弁は自らの春に沈み、最期の感性とともに何処へ流れ着くのだろう。道を見ずして満潮を彷徨うこともまた人生であろうか。2023/05/19
ちなぽむ and ぽむの助 @ 休止中
177
悲しみにくれたり、自分を恥じたり絶望したりするとき、死は美しく安らかなものに思える。絶望は死に至る病だと誰かが言ったけれど「生きる意志こそ絶望の源泉」。この世は絶望に溢れてる。この苦痛にまみれた生も終わりと思うと「生れて初めて春に逢ったような気がする」その鮮やかな色あいも感じるような。 それでも「死んじゃつまりませんわ」と生真面目に前を向く君の横顔が美しくて。冬の厳しい死の気高さより、ぬるむ春の生命に希望を感じて嬉しいのは春が間近だからなのか。冬の名残を肌に感じて、寂しさもある春のはじまり。2020/02/24
かりさ
70
どこかで絶望を思いながらも、降り注ぐ光を感じ、希望を見いだし、生きる覚悟を持ち強く踏みしめる。梶井基次郎「冬の蠅」の光さす情景、生に漲るものと命終えるもの。中谷孝雄「春の絵巻」 の友の自殺と残された者の命の瑞々しさ。北條民雄「いのちの初夜」は殊更秀逸。筆者自身命の灯火のか細さを思いながら書いたのだろうか。若き才能の眩しさ。病により人生の虚無に浸り、強靭で根強い生命に対する苦悩。虚空を見る彼との一夜の記憶。その生きざまに胸を大きく揺さぶられます。影を生む光の白は真摯に生きる者に眩く溢れる希望を与えるのです。2018/02/20
モモ
52
梶井基次郎『冬の蠅』渓間の温泉宿で療養中の私の部屋に住みつく冬の蠅。今の生活から逃避行し、さまよい帰ると死んでいる蠅。なんとも言えない死の香。中谷孝雄『春の絵巻』自分たちと会った後に自死した同級生。春の美しさに感動していた同級生に、ふと感じる危うさ。でも「死んじゃつまらない」のだ。北條民雄『いのちの初夜』ハンセン病にかかり入院する高雄。作者の実生活と重なり辛い。病が進み、肉体が崩れてもなお生き続ける苦しみに胸がつまる。治る病気になって本当に良かった。どれも生きることの苦しみと楽しみ。死を身近に感じる一冊。2022/09/02
神太郎
40
全体的に病や死というものを取り扱いつつ、その奥にきらりと光る「生」という元々私達が持っている「純粋」なものを描いているような気がする。「冬の蝿」は療養地での出来事をどこか鬱々とした感じで描いており、やや初っぱなからなかなか読みづらいなと思った。続く「春の絵巻」は若者の青春のなかに級友の死を取り入れつつ、その死を若者らしい言葉で包んでしまう辺りに不思議な読み心地があった。「いのちの初夜」では癩病患者になってしまった男の鬱々とした語りが印象的であり、癩病の病棟の描写が詳細に描かれており、それも印象的。2020/04/15