目次
序言(聖なるものはみずから顕われる;ふた通りの「世界のなかに在ること」 ほか)
第1章 聖なる空間と世界の浄化(空間の均質性と聖体示現;神体示現と徴表 ほか)
第2章 聖なる時間と神話(俗なる時間持続と聖なる時間;templum(寺院)―tempus(時間) ほか)
第3章 自然の神聖と宇宙的宗教(天の神聖と天上の神々;遥かなる神 ほか)
第4章 人間の生存と生命の浄化(“世界に開かれた”生存;生の浄化 ほか)
付録 宗教学の歴史
著者等紹介
エリアーデ,ミルチャ[エリアーデ,ミルチャ] [Eliade,Mircea]
ルーマニアの世界的な宗教学・宗教史学者。1907年首都ブクレシュティ(ブカレスト)に陸軍将校を父として生まれる。ブクレシュティ大学でナエ・ヨネスクを師に哲学を学ぶ。1927、28年イタリアに留学。また29‐31年インドに留学しこの研究生活を通じて宗教学・宗教史学者としての彼の方向が決定づけられる。帰国後33年から母校で哲学を講義、38‐42年パリで宗教学研究誌『ザルモクシス』を刊行。40年ロンドンのルーマニア文化アタッシェに任命される
風間敏夫[カザマトシオ]
1924年東京に生まれる。1947年東京大学文学部印度哲学梵文学科卒業。1994年法政大学教授退職(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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- 評価
読書という航海の本棚
感想・レビュー
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かんやん
28
聖と俗を対立軸に、宇宙開闢の中心と均質な空間、回帰する時間と歴史、更に諸宗教に共通する天・地・水・樹木の象徴性、人体(ミクロコスモス)と宇宙のアナロジー、通過儀礼などについて論じるのだが、気の乗らない読書になってしまった。ジョーゼフ・キャンベルの神話論(英雄)と基本的な考え方が同じで、様々な宗教(儀式など)に共通する原型を探ってゆく、これが自分にはあまり刺激的でなくて。このような原型も又普遍的な図式であろうが、差異に着目するレヴィ=ストロースの構造(知の体系)とは似て非なるものだと考えている。2022/09/26
原玉幸子
17
何を参照して手に入れたかが思い出せないのですが、「一神教を信じるのは○〇や」、「インド哲学から派生した宗教が分かりやすい」等、自分なりの宗教観やイメージのある人にお薦めとなります。エリアーデが、居住、時間、水や植物の自然、通過儀礼等々と宗教との関わりを論じ、(ちょっとお節介な気もしますが)訳者が儒教仏教に就いて補足!しています。仏教にある「山であって山でなし、川であって川でなし」(印哲学ではそれが宇宙の包摂まで繋がっている)との宗教・哲学イメージ観で全てが語ることが出来る気がします。(◎2024年・夏)2024/05/19
roughfractus02
7
シュライエルマッハー以来、聖俗は宗教の主要概念になったが、宗教から聖を一般化して説明するという批判も多い。エラノス会議の出席者オットー、ティリッヒ、著者はその代表と見なされる。冒頭から聖を空間化し、俗から聖へ「浄化」の方向を与える本書では、説明することで聖から宗教への方向を宗教から聖へと逆転する。確かに、二章で聖に時間を与え、三章で「神聖」へと読み替え、四章で人間一般への「浄化」に及ぶ手続きは、一般化を強化する過程でもある。一方、このような一般化には、それに留まらない聖を示唆する役割があるようにも思える。2021/07/09
Masatoshi Oyu
6
宗教的なるものの本質は、聖なるもの、といえるかもしれない。宗教的人間は世界あるいは自らの周囲の空間を聖なるものと感じ、神々とできるだけ近いところに住まおうとする。周期的にめぐる星空や季節に誕生、死、再生と世界の創造を感じ取り、それらを再現する儀礼をとおして再生し、より完全な人間になっていく。2019/10/07
singoito2
3
コンパクトで構成も順序だっているので分かりやすい。宗教的人間にとって世界と自己は何で「あり」、非宗教的人間にとって何で「ない」のかを神話を生きることを例にとって具体的に語りながら哲学(形而上学、存在論)の入口まで連れて行ってくれる。訳者後書きの東洋思想概説も読み応えあり。ただし、半世紀前の製版そのままなので「蔵されて」とか「命旦夕」とか、今時の若い人にはなじみにくい日本語が多いかもね。でも、お奨めですヨ!2021/05/07