出版社内容情報
自分自身が失われてしまったという感覚をもつ人の苦しみを前にして、いかなる言葉が、いかなる身ぶりが可能だろうか。病いが人を深く揺さぶる時、この同一性の傷を治療することは可能だろうか。患者が自己の風合いを取り戻すことを支援する協働的な営みとしての「治療」の可能性と、「回復」への希望を現実のものにしようとする実践から、ケアの哲学に新たな地平を切り開く。
内容説明
この苦しみを前にして、いかなる実践が、いかなる言葉が、いかなる身ぶりが可能だろうか。この同一性の傷を治療することができるだろうか。患者が自己の風合いを取り戻すことを支援する協働的な営みとしての「治療」の可能性と、「回復」への希望を現実のものにしようとする実践から、ケアの哲学に新たな地平を切り開く。
目次
自分が自分でなくなることの傷
1 病いと同一性
2 自分を見失う苦しみ
3 見知らぬ身体
4 他人の顔
5 存在論的動揺
6 新しい自己の習慣としての治療
著者等紹介
マラン,クレール[マラン,クレール] [Marin,Claire]
1974年、パリに生まれる。2003年にパリ第四大学(ソルボンヌ)で哲学の博士号を取得。「現代フランス哲学研究国際センター」のメンバーを務めるとともに、セルジー=ポントワーズのリセ、アルフレッド・カストレ校のグランゼコール準備クラスで教鞭をとる哲学者である。自らが多発性の関節炎をともなう自己免疫疾患に苦しめられ、厳しい治療生活を送ってきた患者(当事者)でもあり、その経験を起点として、「病い」と「医療」に関する哲学的な省察へと歩みを進め、精力的な著作活動を続けている
鈴木智之[スズキトモユキ]
1962年生まれ。法政大学社会学部教授(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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