叢書・ウニベルシタス
うつむく眼―二〇世紀フランス思想における視覚の失墜

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  • サイズ B6判/ページ数 796p/高さ 20cm
  • 商品コード 9784588010736
  • NDC分類 135.5
  • Cコード C1310

出版社内容情報

二〇世紀フランス思想は近代における視覚の覇権体制に反旗を翻した。絵画、写真、映画等々の視覚芸術から哲学、宗教、心理学、ジェンダーにいたる諸論点をめぐり、ベルクソン、サルトル、メルロ=ポンティ、レヴィナス、ラカン、フーコー、デリダらの思考が「反視覚」の一点において重なり合う圧倒的思想史にして、フランクフルト学派の研究で知られる著者の新展開を鮮烈に印象づけた記念碑的大著。

内容説明

視覚の権威剥奪をめぐる思想史。二〇世紀フランス思想は古代ギリシアよりつづく視覚の覇権体制に反旗を翻した。絵画、写真、映画をはじめとする視覚芸術から哲学、宗教、精神分析、ジェンダーにいたる諸論点をめぐり、サルトル、メルロ=ポンティ、レヴィナス、ラカン、フーコー、デリダらの言説が“反-視覚”の一点において重なりあう思想史の金字塔にして刺激的な視覚論。

目次

序論
第1章 もっとも高貴な感覚―プラトンからデカルトにいたる視覚の変遷
第2章 啓蒙(EnLIGHTenment)の弁証法
第3章 視覚の旧体制の危機―印象主義者からベルクソンへ
第4章 眼の脱呪術化―バタイユとシュルレアリストたち
第5章 サルトル、メルロ=ポンティ、新しい視覚の存在論の探求
第6章 ラカン、アルチュセール、イデオロギーの鏡像的主体
第7章 眼差しの帝国からスペクタクルの社会へ―フーコーとドゥボール
第8章 死を呼び起こすものとしてのカメラ―バルト、メッツ、『カイエ・デュ・シネマ』
第9章 「ファルス‐ロゴス‐視覚中心主義」―デリダとイリガライ
第10章 盲目の倫理とポストモダンの崇高―レヴィナスとリオタール
結論

著者等紹介

ジェイ,マーティン[ジェイ,マーティン] [Jay,Martin]
1944年生まれ。1977年ハーヴァード大学哲学博士(歴史学)。以来、カリフォルニア大学バークレー校でヨーロッパ思想史を担当。同校教授。「フランクフルト学派」の「批判理論」の思想史的領野をアメリカからの視座で分析する研究を開始。のち、ヨーロッパ(とくにフランス)20世紀思想を「視覚の権威剥奪」の契機から読み解く思想史的分析などに研究対象を広げている(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー

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さえきかずひこ

15
プラトン=デカルト的な哲学にみいだされる視覚中心主義が、20世紀フランスの哲学/批評においていかに批判されてきたかを、ベルクソン、バタイユ、プルトン、サルトル、メルロ=ポンティ、アルチュセール、フーコー、ドゥボール、バルト、クリスチャン・メッツ、レヴィナス、リオタールなどのテクストと思想にもとづいて論じていく浩瀚な批評書。後半から結論にかけてはポストモダン的な言葉遣いだが、最終的には「視覚と視覚性の矛盾を含んだ豊かな多様性」(P.533)を肯定して終わる。仏国の映画批評を論じる第8章が面白く印象に残った。2020/03/21

URYY

0
とても読みやすい。ラカン、アルチュセール➡フーコー、ドゥボールあたり。2018/03/15

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