内容説明
私小説という形式がひとつの潮流となった必然性と、現代作家が“私”を語る意味を探究する。
目次
序論 『危機』の表象―“私”を語る機構と『歯車』
1 造形と告白の間(「弱き心」としての自我―『舞姫』と象徴的秩序;過渡期の“道徳家”―『蒲団』における造型と告白;反転する仮面―『仮面の告白』の同性愛と異性愛)
2 個別のなかの普遍(和解を成就する気分―『和解』と書く機構;“子”をつれた表現者―「ロマンティケル」としての葛西善蔵;身体としての果物―『檸檬』における詩とエロス)
3 “私”と現代世界(“核”に対峙する弱者―『個人的な体験』『新しい人よ眼ざめよ』における個人と世界;テロリズムと私小説―リービ英雄の表現と『千々にくだけて』;希薄な自己への執着―私小説とポストモダン)
著者等紹介
柴田勝二[シバタショウジ]
1956年兵庫県生まれ。大阪大学大学院(芸術学)博士後期課程単位修得退学。大阪大学博士(文学)。現在東京外国語大学教授(日本文学)。思想・歴史への視座を取り込みつつ明治から現代にわたる近現代文学の研究・評論を幅広くおこなっている(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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田中峰和
4
私小説の作家に限らず、作者が自らの経験や環境を素材としがちであり、読者も作者本人を思い浮かべながら読み進めてしまう。純文学と呼ばれる作品は、何らかの著者自身の体験や思いが反映されるほどリアリティを生み出す。だが、無自覚に綴られた身辺雑記が私小説の作品として成り立つわけではない。自己像を自覚的に紡ぎだしてこそ、私小説が第三者に訴えかけるのである。作者が自己を他者化しつつ提示する二重性のなかに成り立つ表現こそが私小説の醍醐味といえる。客観化の対象となる自己は、書かれることによってはじめて私小説となるのだ。2018/02/14
y
0
この本で取り上げられている「私小説」は半分くらいしか読んでいないけど、読んだものは思い出しつつ、読んでないものは想像しつつ、楽しみました。 小説はたいてい登場人物に感情移入したり、しなかったりして読んでいましたが、こんな読み方もあるのね、と感心しました。ややこじつけ感がある(と私は受け取りました)説もあったものの、丁寧な論が展開されていて、よかったです。2017/12/21