内容説明
日本人ピアニストの草分けとしてショパンコンクールにはじめて入賞し、戦前戦後を通じて聴衆を魅了、世界から「東洋の奇跡」とまで称えられ、わが国クラシック界で一世を風靡した美貌のそのひとこそ、原智恵子(1914年~)である。59年にチェロの巨匠、ガスパール・カサドと再婚しておもな活動の場を海外に移してからは、欧米での名声は高まる一方でなぜかその名は日本の音楽界からは次第に消えてしまった。日本人のこころの奥にいまでも響くピアノの余韻だけを残して―。
目次
第1章 幸運の女神が微笑んだ―一3歳の音楽留学生マルセイユに到着す
第2章 パリからの帰国―日本一の女流ピアニスト凱旋演奏会
第3章 運命の激浪―結婚、終戦、そして破局
第4章 第二の旅立ち―世界に羽ばたくプリマ・ドンナ
第5章 愛の二重奏―運命の出会い、再会
第6章 カサド・コンクール―世界のチエコ、もう一度
エピローグ 運命の糸に導かれて
著者等紹介
石川康子[イシカワヤスコ]
ノンフィクション作家、翻訳家。1982年独協大学外国語学部ドイツ語学科卒。94年東京都立大学人文学部文学科独文学卒。82~83年フランクフルト(赤井電機勤務)、83~84年フィレンツェ在住、原智恵子と出会う。90年代前半から彼女の研究を本格的に開始
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
ドナルド@灯れ松明の火
19
積読本&著者サイン本。石川さんを招いてお話を伺った際にいサインを頂いたのだが、今まで積読だった。読んでみると大正・昭和の名ピアニスト原がいかに育ち、実力を高めていったのかがわかる一方、当時の日本音楽界が狭量で、あえて評価をしなかったのかもわかる。その背景として高浜虚子親子の当時の傲慢さ・新聞社員音楽担当者の勝手な解釈などが原への不当評価があったことが暴かれる。音楽界ならず今も続く師匠弟子制度・閥などは害のほうが多いと感じた。 お薦め2020/05/14
中田俊輔
14
この本は凄く、面白かったです。最近、読んだ本でもいい出来でした。戦前、戦後、海外で活躍したのに日本では、その姿か生意気にみえたり日本人には珍しく本音をいうタイプで日本の音楽業界から、ないものにされたり1970年代にミカバンドでロンドンでライブした時に日本のメディアは日本を捨てたバンドとして一切、話題にしなかったように昔の日本はそうだったみたいですね。興味あったら調べたり本、読んで下さい。 2020/03/15
MASA123
10
安川加壽子(1922-96)と原智恵子(1914-2001)は、戦前にパリ国立音楽院に留学している。原が1930年入学で、安川は1934年。原はパリで演奏活動をつづけ37年にショパンコンクール特別賞。38年に留学仲間の川添浩史(キャンティ創業者)と結婚し、国際情勢により日本へ帰国。安川も音楽院卒業後に帰国する。戦後、原はふたたびヨーロッパにわたり演奏活動、安川は国内で活動し、日本のピアノ演奏の発展に寄与し優秀な弟子を多く育てる。原はカサドと死別した後、日本へ帰国するが飛躍できず伝説の人になった。 2023/12/01
axel_680
1
「キャンティ物語」つながりで読了。題材は非常に面白く、原智恵子という優れたピアニストにスポットライトを当てたことは、この著者の大きな功績だと思う。ただ著者が、安川加寿子のピアニストとしての軌跡に比べて、原のそれを「日本に受け入れられず不運だった」と表現するとき違和感を感じる。2013/09/08
-
- 和書
- 法律学概要