内容説明
人生は山登りである。9歳で当時の朝鮮・京城(現ソウル)に渡った。そこから高校卒業までに、鹿児島、釜山、再び鹿児島、釜山、そして香川と移り住んだ。転校は実に5度。そこで落第、いじめ、不登校を繰り返した。壮絶な少年期の果てに開けたのは、アスリートの道だった。選手として、監督として日本を制した。そして日本陸連の中心人物へ―。「人生は山登り」だと帖佐は言う。崖から谷底に落ちても、頑張ればいつか頂上が見えるのだ。
目次
プロローグ 心のふるさと 豊島
第1章 誕生 東京の空の下
第2章 終戦 さらば釜山
第3章 ありがとう讃岐路
第4章 「鬼の監督」
第5章 命燃やして 日本陸連の舞台で
エピローグ マラソンへの憧憬
著者等紹介
帖佐寛章[チョウサヒロアキ]
1930年6月7日、東京都生まれ。少年期より朝鮮・京城(当時、現韓国・ソウル)、鹿児島、釜山で暮らし、終戦後に香川県へ。香川県立三本松高時代に陸上競技の選手として頭角を現し、進学した東京教育大では日本選手権優勝(800m、1500m)、箱根駅伝出場などの実績を残す。その後、順天堂大陸上競技部監督となってからは、指導者として数々のアスリートを育て上げ、黄金期を築いた。オリンピックチームのコーチ、監督(メキシコ、ミュンヘン、モントリオール大会)としても実績を残すかたわら、日本陸上競技連盟理事、強化委員長を歴任し、1979年に同専務理事、1992年に同副会長として数々の大会を構築する手腕を振るった。1986年に藍綬褒章受章。1996年4月から順天堂大学体育学部名誉教授。1990年からAIMS(国際マラソン・ロードレース協会)会長
梶原學[カジワラガク]
1935(昭和10)年、香川県に生まれる。三本松高‐立命館大。卒業後、京都新聞社に入社。社会部、運動部長、編集局総務、事業局長を歴任。現在は京都新聞社社友、四国新聞社客員論説委員、コラムニスト(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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