出版社内容情報
『論語』注解史上「新注」と呼ばれる画期を成し、東アジアの儒学史に最も大きな影響を与えた朱熹の代表作。
内容説明
孔子の言葉を朱子が注解し、その過剰を仁斎が削ぎ、徂徠が再び構成する。『論語』をめぐる中国と日本の哲人の人生の真理への格闘を章句ごとに再現する。第3巻は「子罕第九」から「子路第十三」まで。
目次
論語集注巻五(子罕第九;郷党第十)
論語集注巻六(先進第十一;顔淵第十二)
論語集注巻七(子路第十三)
著者等紹介
土田健次郎[ツチダケンジロウ]
1949年、東京生まれ。早稲田大学第一文学部卒業、同大学院文学研究科博士課程単位取得退学。博士(文学)。現在、早稲田大学文学学術院教授(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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ゆうきなかもと
8
いろいろと考えさせられる(´・_・`)一番最後の第30章に《子曰わく、教えざる民を以(もち)いて戦うは、是れ之を棄つと謂う、と》とある。意味は、〈訓練していない民衆を使って戦うことは、民衆を棄てるということだ〉となる。ちなみに、この章の前に、その訓練期間が7年であることが明記されている。戦中の学徒動員のことが頭に浮かんだ。2016/03/12
Nemorální lid
2
本著では子罕第九から子路第十三までを注解。本書から孔子の弟子である子貢、曾子、顔淵などが話の中心となっていく。顔淵の死に際して嘆く孔子などには朱熹、仁斎、徂徠共に余り注釈が無いのは、死における論語の章のそのままの意義を意味とした為だろうか。「子曰 、語之而不惰者、其回也与」(p.73)の章には弟子顔回の誠実さを物語っているが、純粋性を抜粋するならば、朱熹の思想書と化している注解書の中でもここのみぐらいだろう。それほどまでに道学と癒着している当著において、孔子の悲愴に注解しないのは別の意味があるのだろうか。2018/10/23