内容説明
自然は淫蕩を愛し、淫蕩を保護するのだ。現代アートによるサド復権。
著者等紹介
サド,マルキ・ド[サド,マルキド][Sade,Donatien Alphonse Francois de]
1740‐1814。フランスの小説家。通称サド侯爵。ペトラルカの愛人ラウラを家系にもつ名家の出。司法官の娘と結婚したが、乞食女鞭打事件、ボンボン事件などのスキャンダルを起こし投獄、生涯の三分の一を獄中で過ごすことになる。大革命とともに釈放されるが、反革命の嫌疑でふたたび下獄、さらにナポレオン体制下に筆禍を招き、死ぬまでシャラントン精神病院に監禁された。作品の多くは獄中や精神病院内で執筆された。遺言状には「自分の名を永遠に世人の記憶から抹殺せよ」とあった
澁澤龍彦[シブサワタツヒコ]
1928(昭和3)年、東京生まれ。東京大学文学部仏文科卒業。サドをはじめとするヨーロッパ暗黒・異端文学の第一人者。政治の季節といわれた60年代に、『神聖受胎』『毒薬の手帖』『夢の宇宙誌』などの著作で、文学・芸術の視点から脱マルクス的思想を送り出し、当時の左翼的土壌に激震を起こす。59年に翻訳したサドの『悪徳の栄え』が猥褻書とされ発禁処分(60年)となる。当時の作家・文化人を巻きこむ「サド裁判」が起きるが、69年、東京地裁で有罪判決が確定する(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
ヴェネツィア
169
平凡社が澁澤の死後に編集した「ホラー・ドラコニア少女小説集成」の第1巻。本篇はサドの『ジェローム神父』を収録。澁澤は「性的アナーキズム」と言うが、18世紀末のサドは、性的にのみならず(本人の意思とは関わりなく)政治的にも社会的にもアナーキストであった。もっとも、彼にあっては「カトリックの禁忌」に対する反措定でもあるが故に、絶対的な無秩序の標榜ではないだろう。ただ、こうした論理の積み重ねの先にあるジンテーゼとは、いかなるものなのであろうか。なお、小説としては、最後が哲学談義に終わる点は、やや物足りない。2014/12/15
Shoji
60
読んでみましたがいけませんか。 「エ・アロール、それがどうしたの」ミッテラン大統領のスピーチを渡辺淳一ばりに開き直って言い放ってみました。 冗談はさておき、時々書評を目にするこの本、かなり哲学的でした。 サディズムなりフェティシズムとは、美徳か背徳か、エロスかタナトスか、テーゼかアンチテーゼか、誰しもが普通に持ち合わしているのではなかろうか。 それが潜在したままか顕在するかの違いのような気がしてならない。 どちらも正常。2017/01/21
harass
33
数年ぶりにサド。とにかく相変わらずであると読んでいて思う。悪とはなにかと挑発しまくる登場人物のアジに、クラクラする。それは眩暈か恍惚か、その両方か。絵の会田誠が気になって手に入れた本で印刷の質は良いが、サイズが小さすぎる。大きければ大きいほどいい。ただしこの文庫本サイズでも1400円もしてしまう…… 正直、会田の絵は挿し絵にはむかないと感じる。絵自体のコンセプトが強いせいかと。2014/12/28
いりあ
21
マルキ・ド・サド=原作、澁澤龍彦=訳、会田誠=絵という狂気のコラボレーション。この表紙の持つパワーを見てもわかります。作品自体は抄訳なので、ちょっと消化不良です。これでも十分にサドの世界観を垣間見ることが出来るとは思いますが。とはいうものの途中に挿入される美味ちゃんシリーズなどのイラストがその消化不良の不満を和らげてくれます。同時に収録されている会田誠についてのエッセイも興味深かったです。とりあえず、本作を読んでみて、どう感じるかで自分の性的な嗜好が異常かどうか確かめてみてはいかがですか?2013/08/15
藤月はな(灯れ松明の火)
19
読友さんが読んでらっしゃったので興味を持って読みました。カバー絵の地面の図が変なのにしっくりきて不思議です。サド侯爵が紡いだ残虐な快楽に至上を見出す物語が文学青年の先輩も絶賛する澁澤龍彦氏によって秘して耽美に訳されています。それ故に自分の残虐なる心を揺す振られそうになるのでご用心を。澁澤龍彦氏の正常な性愛が男女による生殖行動だとすれば異常とされるフェチズム、マゾヒズム、サディズムなど、返答が難しく、考えることすらも大半は忌避されるであろう事に対して世の偏屈なる常識に対する冷笑も込めた考察も興味深かったです2012/03/20