内容説明
芸術作品は、日常生活に回収される道具と異なり、世界と大地との亀裂の狭間に真実を顕現させる。哲学の「別の原初」を指し示し、ハイデッガー後期思想への「転回」を予示した記念碑的作品。
目次
1 物と作品
2 作品と真理
3 真理と芸術
著者等紹介
ハイデッガー,マルティン[ハイデッガー,マルティン][Heidegger,Martin]
1889‐1976。ドイツの哲学者。フライブルク大学で神学、哲学を修め、1915年同大学講師となりフッサールに師事。23年マールブルク大学教授。27年主著『存在と時間』を公刊。28年フライブルク大学教授、33年にはヒットラーの政権獲得後、同大学総長に就任するが、わずか1年で辞任する。厳密な哲学史研究と強靭な思索をもって伝統的形而上学の解体、ニヒリズムとの対決、新たな存在論の構築などを目指した
関口浩[セキグチヒロシ]
1958年生まれ。早稲田大学大学院文学研究科博士後期課程単位取得。現在、早稲田大学社会科学部非常勤講師(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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彩菜
14
その絵を見て。靴が描いてある。それは思考様式による先取りや表象ではない、靴本来の存在を語る。存在する物の存在の本質的開示、それが真理。芸術は真理の確立。一歩中へ。真理が生起している。作者が存在を取り出し、作品により広がる世界とそれを閉じる大地(石・色彩・音、世界を封じる大地)の闘争の中に創り入れた。今闘争の間に居る。存在の本質的対抗の間に立つ、それが実存。それは共に又互いの為に存在する事を、現存在を根拠付ける。そう、作者が真理を確立し、私達により真理が確立する。芸術作品の根源は作者と私達見る者の芸術にある2019/06/22
有沢翔治@文芸同人誌配布中
9
芸術における真理とは一体何なのだろうか。例えば科学的真理などとは区別されうるのだろうか? 単なる物と彫刻との違いはどこにあるのだろうか。 ハイデガーはこれらの問いに対して「存在」を明らかにするものだという。ハイデガーの芸術論。http://blog.livedoor.jp/shoji_arisawa/archives/51507516.html2019/09/04
Z
8
せる様を語り、材料が帰属する場所を「大地」、宮殿から浮かび上がるような人間集団の生活様態を「世界」と名付け、生活様態(世界)と「大地」との原闘争、人間集団(ハイデガーは民族と限定している)の有り様を開示するのが芸術だと壮大、神話的な話に進んでいく(翻訳しだいでもっと柔らかくなるかもしれないが)。おそらくハイデガーのバイアスで解釈=物事を曖昧さからクリアにする)ことであるが、その中心的な働きとして言語をかなり重視しており、それが民族性や詩作が芸術の本質だという主張に繋がっていく。(言語の分析はこの本で充分と2017/01/25
Z
8
色々言いたいこともあるが、思考の流れを追うことはおもしろかった。簡略化していうと『存在と時間』では人間が生きていることをベースに分析したが、この作品では『存在…』での道具の分析を中心にして考察している。おおまかに思考の流れを追うと、ゴッホが描いた農夫の履き潰された靴の絵を考察し、「信頼性」農夫の生活が読み取れるような、人の生活様態をありありと浮かび揚がらせるような様、それを取り上げるのが芸術の仕事とする(個人的にはツッコミどころある)。のち古代ギリシャの宮殿をとりあげ、ギリシャ民族の生活様態を浮かび上がら2017/01/25
Ecriture
6
道具の道具存在は有用性にあり、道具なるなかばの芸術は芸術と物との中間の特異な位置を占める。道具の使用が習慣的になると道具は単なる道具へと沈み、信頼性を失う。真理は作品の内に据えられ、存在はその存在において開示し、表れる。それは見つめるものの眼前にて直観されるような対象ではない。作品は作品として世界を開けて立てる。美術館・展覧会を含め消費が有りうるのは作品が失敗した時だけ。作品は大地をこちらへと立てかけ、世界はそれと闘争し続け、遊動空間のうちに形態を成す。偽装が真理の条件。2012/07/14