内容説明
個が個である限り自失し、知が知である限り自壊する場所に投げ出される。賭・刑苦としての体験だけが到りうる「夜」の深み。矛盾の総体を生き抜いた思想家による輝かしい錯乱の書、改訳決定版。
目次
内的体験(内的体験への序論草案;刑苦;刑苦の前歴(あるいは喜劇) ほか)
瞑想の方法(異議提起;態勢の決定;裸形)
追伸―一五五三年
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
傘緑
21
「…光り輝く笑いの底へと滑り落ちてゆく…私は感性的体験によって生きているのであって、論理的釈明によって生きているのではない。神聖なものについて私はある狂気じみた体験を持っている…(第二部:刑苦)」 神を削ぎ落とした冒涜にも似る神秘体験である「内的体験」。ブランショへの感謝とともにヘーゲル、ハイデカーへの対抗意識が見え隠れする。「哲学者による哲学ではなく狂人聖者による陶酔と酩酊なのだ」と吠える。このキチ〇イ水はメチルが主なので失明と失命はご覚悟の上で、ぜひご一献を…「刑苦」の章が蒸留されてて呑みやすいですよ2016/10/01
yutaro sata
16
本が爆発した。私は記憶を失った。爆発した後も本は死んでいなかった。2022/05/14
ルンブマ
6
最愛の彼女の死後、バタイユは人と宇宙の間に、内的経験の新しい境地、内的経験2.0を切り開いていく。 〈極限〉、〈非−知の夜〉、〈恍惚〉、〈至高性〉と様々な名をその境地につけていくが、彼の思想の重要な点は、この狭間を可能な限り〈横滑り〉していくことだった。宇宙のほう(超越)へ進み出て自死するのではなく、人の世界にとどまる。 とどまるのだが、人の世界と宇宙という2つの世界の間のあいまいな境地をスライドし、宇宙との意識的な交わりを果たしていく。2019/10/02
nightU。U*)。o○O
4
単に晦渋というより錯乱した構成。求める鉱脈の場所は知っているのに、やたらめったに掘り返し、蟻の巣のように手当たり次第に洞穴を開けてゆくイメージ。そのようにして実際、西洋哲学を縦横に切り裂いた跡がある。対象の正確さを期す手法としてそれを採用し、ひたすらに書き進めてゆくのだから生真面目なのか愚直なのか、いやその両方を見下ろし哄笑する高みにいる。このようにしてまだ残しかったそれは書いたからといって何かが発展するとか、証明されるとかいうものではない。ただ「始まり」の痕跡であって、バタイユの居場所を見る思いだ。2016/10/06
right27
3
読んだのは河出文庫の江澤健一郎訳。進むにつれて何もわからなくなっていった。冒頭あたりで知について書かれた部分で「沈黙という言葉も、いまだにひとつの雑音である。語ることは、自分自身のなかで知っていると思うことであり、もはや知らずにいるためには、もはや語ってはならないだろう。(p.41)」とあって深く共感した。ヴィトゲンシュタインやデリダのあたりとどう接続しているのか(そもそも接続しているのか?)が気になった。2024/01/31