出版社内容情報
佐藤美由紀[サトウ ミユキ]
著・文・その他
内容説明
1959年7月25日。キューバ革命直後に、使節団として来日していたチェ・ゲバラ、予定を変更して電撃的に広島を訪問した。稀代の革命家は、なぜ広島にそこまでこだわったのか!?その地で何を感じ、何を持ち帰ったのか!?キューバと広島―現地取材でゲバラの“ヒロシマへの思い”を追った渾身のノンフィクション!!
目次
第1章 キューバ親善使節団(カバーニャ要塞のコマンダンテ;外交模索が目的の長期外遊 ほか)
第2章 ゲバラとヒロシマ(千鳥ヶ淵と広島と;強行突破 ほか)
第3章 アメリカ嫌い(政治的な目覚め;運命の出会い ほか)
第4章 ミサイル危機と反核(北の巨人の“いやがらせ”;要職歴任、昼夜の学び ほか)
第5章 それぞれのヒロシマ(四四年後に果たされた約束;フィデル・カストロのヒロシマ ほか)
著者等紹介
佐藤美由紀[サトウミユキ]
ノンフィクション作家。広島県福山市出身。各種の雑誌や書籍に人物ルポや社会レポートなど様々な分野の記事を執筆。近年は書籍の執筆に力を注いでいる。ベストセラーになった『世界でもっとも貧しい大統領ホセ・ムヒカの言葉』(双葉社)など。佐藤真澄名義でも著書がある(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。
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- 評価
京都と医療と人権の本棚
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
Sakie
18
1959年、ゲバラ来日。13日間の滞在の記録は少ない。熱望して広島を訪れ、『きみたち日本人は、アメリカにこれほど残虐な目に遭わされて、腹が立たないのか』と怒り、原爆症の患者たちの為に泣いてくれたことがわかっている。キューバは1962年、核戦争の瀬戸際までいった国でもあるが、彼らが核の力を望んだのではなかった。ゲバラとカストロがヒロシマを重視したのは、強大なアメリカへの敵愾心と、被爆の桁外れな悲惨さのためだったのだろう。二人の熱心な施策により、キューバ人のほとんどは"ヒロシマ"を知っている。日本人はどうだ?2019/08/09
しゃんしゃん
11
映画「エルネスト」の予告を見た。その帰りに偶然見つけた本。今年は39歳で生涯を終えたチェ・ゲバラの没後50周年。「あの頃、世界でいちばんカッコイイのがゲバラだった」ジョン・レノンは言う。「20世紀でもっとも完璧な人間」とサルトル。彼はヒロシマを訪問していた。原爆病院を訪問した彼は患者たちを勇気づけながらボロボロと涙を流す。キューバでは殆どの国民がヒロシマ・ナガサキを理解しているという。平和を守る必要性、いかなる大国であっても人を殺す権利はないということを繰り返し訴えていくしかないということを改めて思う。2017/10/02
sasha
9
広島県にも広島市にもキューバにも、ほとんど資料が残されていないのが残念。ただ、ゲバラは広島訪問の際に妻に絵葉書を送り、簡潔な文章で原爆の犠牲者数に触れている。日本からは遠いキューバの教科書に「ヒロシマ・ナガサキ」の記述があるのに驚く。原爆投下はキューバにしてみたら、憎きアメリカ帝国の長章なのかもしれないが、未曽有の殺戮に対する悲しみや怒りはイデオロギーを調節して存在すると感じた。ゲバラ、革命家だけど医師でもあるんだものな。2018/08/13
荒野の狼
7
「ゲバラのHiroshima」は、チェ・ゲバラが広島に訪問した時の記録を中心に記載した2017年出版の本。同年に、ゲバラの映画「エルネスト」が公開され、映画の中でもゲバラの広島訪問は描かれているが、本書では実際のゲバラの訪問時の写真と映画の撮影時の写真を同時に掲載している。また、ゲバラ自身が撮影した慰霊碑の写真と、ゲバラが妻に広島から送った絵ハガキの両面の写真が掲載されており貴重。 2024/06/02
ペカソ・チャルマンチャイ
5
ゲバラやキューバ危機のことを初めて知ることができた。原爆については、日本人よりも、キューバの人の方がよっぽど事実を正確に知っているみたいですね。民族や、国民性の違いがあるにせよ、日本人はもう少しはゲバラから学ぶべきではないか。東京大空襲や、広島、長崎に原爆を投下した指揮官に日本が勲章を与えたなんて、亡くなった方に申し訳ないし、生き残った方に顔向け出来ない。それが同じ国の人間としての普通の感覚ではないのか?2017/12/19