出版社内容情報
「下意上達」の組織作り、世界初の児童手当、理想の藩校の創設……。何よりも「人」を大事にしたすごい名君がいた!
ベストセラー『上杉鷹山』の著者が描く、鷹山の兄にして高鍋藩初代藩主・秋月鶴山(種茂)の生涯とは。
宝暦10年(1760)、種茂は藩主になってすぐに、藩政改革に取り組む。改革に必要なものは人材であると、藩校明倫堂を創設し、武士以外にも門戸を開いた。この藩校からは、のちに大審院長を務めた三好退蔵や、ボーイスカウトを日本へ伝えた秋月左都夫、「児童福祉の父」と言われた石井十次などの人材を輩出した。
上杉鷹山ものちに導入した児童手当を、日本で初めて支給するなど、児童福祉にも目を配り、財政再建を進めていった鶴山。
鷹山をして、「私の知識と才覚は到底兄に及ぶものではない」と言わしめた名君の改革人生を、鷹山との絆も盛り込みつつ描く歴史小説。
内容説明
「下意上達」の組織作り、世界初の児童手当、理想の藩校の創設―何よりも「人」を大事にしたすごい名君がいた!ベストセラー『小説上杉鷹山』の著者が描く、鷹山の兄にして高鍋藩第七代藩主・秋月種茂(鶴山)の生涯とは。
著者等紹介
童門冬二[ドウモンフユジ]
昭和2年(1927)、東京生まれ。東海大学付属旧制中学校卒業後、海軍少年飛行隊に入隊。昭和20年(1945)8月、特攻隊員として三沢基地で敗戦を迎える。昭和22年(1947)、目黒区役所に就職し、約12年間を税務課で勤務。その後、目黒区役所国民健康保険課企画係長、庶務係長を務めた後、昭和35年(1960)、東京都立大学事務長を経て、昭和39年(1964)、広報室副主幹(課長)として本庁に勤務。昭和42年(1967)年の美濃部亮吉東京都知事誕生以降、広報室長、企画調整局長、政策室長など要職を歴任。昭和54年(1979)、美濃部知事の退任とともに都庁を去り、作家活動に専念する。昭和33年(1958)、生田直近と文芸二人誌『さ・え・ら』を創刊するなど、目黒区役所勤務時代から小説を執筆し、数々の文芸誌小説賞に佳作入選。昭和35年、「暗い川が手を叩く」で第43回芥川賞候補。平成11年(1999)、勲三等瑞宝章受章(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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