出版社内容情報
ハイデッガー『存在と時間』、ジャンケレヴィッチ『死』などを手掛かりに、ジュニアとシニアの為に、「死」について考える哲学入門。
【著者紹介】
慶應大学文学部哲学科教授
目次
第1章 なぜ、死が問題なのか(無関係でいることができない;誰も経験したことがない;気にする?気にしない?;死の話と正義の話)
第2章 死(他者の死;私自身の死)
第3章 生(「もう、ない」「いま、ある」が「まだ、ない」;お返しなしの贈り物、あるいは負債なき贈与;「いま、ある」ことの晴れやかさ)
著者等紹介
斎藤慶典[サイトウヨシミチ]
哲学者。慶應義塾大学文学部哲学科教授。1957年横浜生まれ。慶應義塾大学大学院文学研究科博士課程修了。哲学博士。現象学、西洋近・現代哲学を専攻。2007~2012年まで慶應義塾中等部長を兼任(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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テクパパザンビア
20
最後らへん難しかった。死の話を筋道立てて納得いくところまでとことん考えぬくのはしんどいです〜。人間とは死すべき者=人間だけが自分がいずれ死ぬという事を知っている。他者の死に『疚しさ』を感じ私自身はさしあたり、まだ死なずいつか必ず死ぬ。『純粋な未来としての死が、私の生の屋台骨を貫通する』に脱帽。とにかく『いま、ある』自分を楽しみまっさ!2016/12/07
いかすみ
3
死を考察することで、生を肯定することに至る興味深い本。「いま、ある」人間は「もう、ない」=過去と「まだ、ない」=未来に囲まれて存在している。「ある」は「ない」に埋め尽くされることで存在している。「いま、ある」はすでに与えられており、贈与者がいない贈与である。「いま、ある」を消去しようとしても、この「実在」は消去できない。「死は生の否定ではなく、そのなくてはならない片割れ、親友、パートナーだ。この両者を丸ごと「引き受ける」とき、全面的に肯定するとき、「ただ、生きる」ことが成就する」。2025/03/09
ミヒャエル・安吾
2
死、それ自体に善も悪もない。それは一種の「現象」だからだ。2017/01/29
cocolate
2
いかんともしがたい、ある。無根拠に、ある。数直線でも書かないと理解しにくい。本気で無について考えたことがない。 dasein。2015/06/28
代拿邁人☆
1
与えられたのなら何か返さねばならない、という論理にはヤクザじみたものがあるが確かにそういう議論はよく見る。逃れがたさと気にしなければならないこととは分けて考えられるだろう。あるや理由のないことについて直感は上手く捉えられている。2023/10/25
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