目次
一九一六年
林家の人々
関東大震災の頃
大正から昭和へ
早稲田中学校へ入る
横浜高等工業学校に進む
東京工業大学時代
内閣技術院へ
ジャワでの海外勤務
戦後の第一歩
経済安定本部から経済審議庁へ〔ほか〕
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
がんぞ
0
WW2までの五大国の一角としての繁栄は何であったのか。淡々と生活の実感を書いていく。林望の父である著者は東工大で「この成績ではとうてい卒業させられないが君はボートレースばかりやっていたから見所はある」ポスドクで残った。事情を知らない父は歓喜。そんなような“先進国に合格”だったのだろうか。アジア随一(ソ連はヨーロッパとして)の日本の地位を、蒋介石(クリスチャン)の中華民国に換えようとアメリカは策動したが、英仏蘭はアジアの植民地を手放す気は毛頭なかった。終戦時インドネシアに居て独立運動に同情したが、翌年帰国2013/07/30