ジャック・デリダ講義録<br> 獣と主権者〈2〉

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ジャック・デリダ講義録
獣と主権者〈2〉

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  • サイズ A5判/ページ数 373,/高さ 22cm
  • 商品コード 9784560098028
  • NDC分類 135.5
  • Cコード C0010

出版社内容情報

『ロビンソン・クルーソー』とハイデガーの精読により、土葬と火葬の二項対立を脱構築し、動物と人間が共住する世界の「支配」を問う「脱構築」の到達点!
 『獣と主権者?』において多岐にわたった主要参照先が、最終講義録である本書においては二つに絞られる。ダニエル・デフォーと、ハイデガーである(ルソー、マルクス、ジョイス、ウルフ、ドゥルーズ、レヴィナス、ラカン、ヘーゲル、パスカル、カントなども引用はされる)。ハイデガーからは「石は世界をもたない」「動物は世界貧乏的である」「人間は世界形成的である」という命題が提起され、デリダはこの命題を導きの糸とすることで自然の概念を再検討し、人間に固有な主権の概念を問い直してゆく──。そして、最終講義においては、地球規模で展開される対テロ戦争の現実を踏まえて、ツェランの詩句「世界は消え去っている、私は君を担わなければならない」が解釈され、その事実確認的命題と行為遂行的な命題の結びつきのなかに、消え去ろうとする世界への共存が示唆される。
 生き埋めにされるという幻像から『ロビンソン・クルーソー』を読み解き、土葬と火葬という「喪の作業」の二項対立を考察し、ハイデガーとともに、動物と人間が共住する世界の「支配」を問う! 著者晩年の脱構築的思索の白眉。

ジャック・デリダ[デリダ]
1930?2004年。アルジェリア生まれ。フランスの哲学者。著書に「エクリチュールと差異」など。

西山 雄二[ニシヤマ ユウジ]

亀井 大輔[カメイ ダイスケ]

荒金 直人[アラカネ ナオト]

佐藤 嘉幸[サトウ ヨシユキ]

内容説明

世界は存在せず、ただ島々だけが存在する。生き埋めにされるという幻像から『ロビンソン・クルーソー』を読み解き、土葬と火葬という「喪の作業」の二項対立を考察し、ハイデガーとともに、動物と人間が共住する世界の「支配」を問う!最終講義を収録した、著者晩年の脱構築的思索の白眉。

目次

第1回 2002年12月11日
第2回 2002年12月18日
第3回 2003年1月22日
第4回 2003年1月29日
第5回 2003年2月5日
第6回 2003年2月12日
第7回 2003年2月26日
第8回 2003年3月5日
第9回 2003年3月12日
第10回 2003年3月26日

著者等紹介

西山雄二[ニシヤマユウジ]
1971年生まれ。首都大学東京人文科学研究科准教授。一橋大学言語社会研究科博士課程修了。東京大学特任講師を経て現職。フランス思想専攻

亀井大輔[カメイダイスケ]
1973年生まれ。立命館大学文学部准教授。立命館大学大学院文学研究科西洋哲学専攻博士後期課程修了。哲学専攻

荒金直人[アラカネナオト]
1969年生まれ。慶應義塾大学理工学部准教授。2003年、ニース・ソフィア・アンティポリス大学(フランス)文学・芸術・人文科学部哲学専攻博士課程修了、博士号(哲学)取得。哲学専攻

佐藤嘉幸[サトウヨシユキ]
1971年生まれ。筑波大学人文社会系准教授。パリ第10大学博士号(哲学)取得。哲学/思想史専攻(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー

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34

20
デリダの芝居がかった講義のはじめ方は、それだけを摘要・引用してみたくなるほどのものだ。たとえば初回はこうはじまる。「私は一人だ。彼は言う、あるいは、彼女は言う。私は一人だ。決定的な沈黙ないし終止符が後に続く(……)」。まるで一つの舞台に引き込まれるかのよう。別の回はこうはじまる。「勇気を! さあ勇気を! (……)考えるためには心と勇気が必要です。たとえば生きている死者を考えるためには」。ブノワ・ペータースによると、デリダはあるとき、初対面の女性から「わたしが形而上学です」と言われて面食らったらしい。2017/07/27

かんちゃん

3
獣と主権者Ⅰの中では、動物的愚かさと、獣=主権者のテーマを中心に議論が展開されるが、本巻の講義の中では、獣と区別される意味での人間とは何かについての議論が、非常に迂遠な形で展開される。人間が有しているのは、関係づけ(≓協定)を行う自由(≓主権)から意味作用が生まれる。潜在的な関係づけの可能性と歴史の中に接合されるという、支配的な暴力の中にあって、「世界は消え去っている、私は君を担わなければならない」。世界一般は存在せず、ただ孤独な散種としての人間だけが、世界がある「かのように」、存在する。2016/07/17

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