出版社内容情報
乳癌の発見、再発、そして最期まで、2000年代を中心にした日々を渾身の力で綴ったエッセイ集。書くことへの痛切な意欲によって紡ぎだされる、歌と家族と命への至宝のことばと叫び。
内容説明
乳癌の発見、再発…残された日々を渾身の力で綴った名文の数々。至宝のことばが紡ぐ、歌と家族と命への叫び。
目次
1(老いの違和感とおもしろさ;四つの青磁社;芋の露;包丁と俎板;鳥居内の家 ほか)
2(手の皺;同性のごと我を慰む;灰になる日;競馬場にて;身体で掴み、身体で作る ほか)
著者等紹介
河野裕子[カワノユウコ]
1946年熊本県生まれ。京都女子大学卒業。在学中の1969年、「桜花の記憶」で第十五回角川短歌賞。1972年、第一歌集『森のやうに獣のやうに』刊行。永田和宏と結婚。1977年、歌集『ひるがほ』で第二十一回現代歌人協会賞。2000年、第十九回京都府文化賞・功労賞。2002年、歌集『歩く』で第六回若山牧水賞、第十二回紫式部文学賞。2008年、宮中歌会始詠進歌選者。2009年、歌集『母系』で第二十回斎藤茂吉短歌文学賞、第四十三回迢空賞。2010年8月12日、乳癌のため死去(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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双海(ふたみ)
10
乳癌の発見、再発、そして最期まで、2000年代を中心にした日々を渾身の力で綴ったエッセイ集。歌と家族と命への至宝のことば。「永田と別れて、鴨川沿いの道を車を運転して帰ったが、涙があふれてしかたなかった。私の人生の残り時間はあとどれぐらい残っているのだろう。それまでに出来る仕事のことを考えずにはいられなかった。(中略)かなしかった。かなしい以上に生きたいと思った」2023/10/09
勝浩1958
8
私はときどき短歌を読みます。詠むのではなく読むのです。日々の暮らしでまとわりついた塵芥が、きれいさっぱり洗い流される気持ちがするからです。これからも読み続けていこうと思わせてくれたエッセイでした。2015/02/21
ndj.
6
「父母だけが本当だった」、その本当、という言葉の選び方にはっとさせられ、紙面がにじむ。ただ、そこにある日常の光景を、えりすぐられた言葉で丁寧に描いたエッセイ。気負ったところがまるでない、自然体の文章がより一層胸に染み入る。2016/11/14
ちい
5
先日、ラジオの聞き逃し配信で、夫で歌人の永田和弘さんが出演している番組を聞いた。出会いから、病魔で倒れるまでの河野さんのことを、しみじみと語っておられた。「わたしはここよ」と詠まれた側の気持ちや、何もできない情けなさを赤裸々に語っておられたが、その裏に、もう居ない人への溢れる思いがあったように思う◆この本の前半は死への不安とそれを受け入れるまでが書かれている(いや、まだ足掻いておられたのかもしれないが)特に最後の「室生寺再訪」は読んでいて涙が出そうだった。2021/02/10
きさらぎ
4
乳癌で亡くなった歌人の遺稿集、と言ったらいいのか。編集は夫で、5頁程度の短い随筆を主に集める。乳癌後の歌集『歩く』を以前読んだが、伸びやかで平明なしらべは随筆でも変わらない。鋭い感受性を持てあました十代後半のこと、あはれ知らぬ残酷な二十代の終わりや、その二十代から傷つけられた四十代のこと、それを振り返る五十代。「体力が欲しいと思うのは、体力が減少しているのではなく、意欲が体力を圧倒している時」老いと闘病中の体のもどかしさや残された時間のこと。歌と共に生きた五十年をしみじみと思い返すような文章たちだった。2016/08/11