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内容説明
1971年7月30日14時2分、雲一つない雫石上空で、札幌発東京行の全日空B727と自衛隊訓練機が衝突し、B727の乗客乗員162名全員が死亡した。世論は自衛隊機に非難を集中した。しかし、事実を検証すると、優速のB727がほぼ真後ろから自衛隊機に追突していて、しかも、B727の操縦席では自衛隊機の存在を全く認識していなかった形跡がある。そのとき機長らはなにをしていたのか。わかっているのは、操縦席に昼食を持ち込んだという事実だけである…。報道と裁判の不条理を衝く。
目次
第1章 衝突(新聞論調;市川二曹はなぜ無罪か;何が有罪と無罪を分けたか;全日空機の航跡;臨時訓練空域「盛岡」とはどこか;自衛隊機の航跡)
第2章 責任(隈被告はなぜ有罪か;控訴棄却と執行猶予;接触地点はどこか;接触時刻はいつか;全日空機は市川機を視認したか)
第3章 賠償(互いに損害賠償を請求;過失割合が変わったのはなぜか;損害賠償額の確定;最後の和解成立と雫石以後の整備)
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
文那
17
読んでは見たけれど、もう少し中立的な考えが欲しかった。岩手県雫石町上空で、自衛隊の訓練機と全日空の旅客機が衝突したという事故。どちらが過失ではなく、どちらも航空機を飛ばすものとしての責任はあると思うので、一歩的にどちらが悪いとは言えないとは思うけれど、世論は生還した訓練生に責任の矛先を向けた。管制テープが出てくるが、途切れたのが札幌管制所だけとかそういうことではなくて、内容が知りたかった。当時はレーダーはないのだろうか。全日空側の機長が視認を怠ってたと書いてあったが、副操縦士はどうだったのだろう。 2017/12/05