内容説明
「21歳で創業後、会社はピンチの連続だった。苦労を重ね事業を伸ばすと、どん底に突き落とされる。その繰り返しだった。はい上がっていくと、また振り落とされる。その度に“ピンチはチャンス”と言い聞かせてきた」不屈の経営者精神でヨネックスを世界的なスポーツメーカーに育てた米山稔の波瀾万丈の物語。
目次
第1部 私の履歴書(越後の雪だるま―ピンチをチャンスへ;長岡市塚野山―家業、資金繰りで苦労;陸軍工廠―配置換え、上司に直訴;船舶特攻隊―命懸けで何度も訓練 ほか)
第2部 ざっくばらんが征く(挑戦の戦略;一筋に創る;ヨネックスを応援してくれた人たち;私を支えてくれたトップ選手 ほか)
著者等紹介
米山稔[ヨネヤマミノル]
ヨネックス創業者、名誉会長。1924年新潟県長岡市(旧越路町)生まれ。46年に家業の木工業を継ぎ米山製作所を創立。56年にバドミントンラケットの製造を開始。その後テニス、ゴルフ、スノーボードに進出。独創の技術を活かし、ヨネックスを世界のスポーツブランドに育て上げた(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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