我が人生―ミハイル・ゴルバチョフ自伝

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  • サイズ 46判/ページ数 576p/高さ 20cm
  • 商品コード 9784490210675
  • NDC分類 289.3
  • Cコード C0031

出版社内容情報

東西冷戦終結から30余年。2022年2月、ロシアによるウクライナ軍事侵攻により現代史は新たな段階に入った。プーチン大統領がたびたび引き合いに出す、冷戦終結時NATOが東へ拡大することはないという約束についてしばしば議論となっているが、本書はまさに東西冷戦終結の「当事者」であるゴルバチョフが当時の息詰まる交渉プロセスを振り返る。加えてペレストロイカの意義、ソ連崩壊について、ウクライナ問題、プーチン・ロシアへの評価など、「何も隠し立てせず、私の信念に基づいて正しく行われたことについて、そして我々の失敗についても、率直に語った」作品である。本書のもう一つの読みどころは、旧ソ連時代の幼少時のエピソード、貧しかった戦中・戦後の話、村の学校を出たのちに入学したモスクワ大学での青春時代、最愛の妻ライサ夫人との出会いと、病気で彼女を失ってからの日々など、政治家としてのゴルバチョフだけでなく、一人の人間としての素顔が端々からうかがえることだ。同様に、ゴルバチョフの生涯はソ連・ロシアの現代史そのもので、第二次世界大戦を経てロシアがたどってきた困難な道のりや当時のロシアの人々の暮らし、社会状況を知る上でも絶好の作品である。核戦争の脅威から世界を救うという平和への強い思いでもって冷戦終結を成し遂げ、その後も国内外で積極的に平和へのメッセージを発信し続けているゴルバチョフ。その言葉は、国際秩序が崩壊し第三次世界大戦勃発の危機について語られる今こそとりわけ大きな意味を持つ。附録に最新論考「ペレストロイカを理解し、新思考を貫く」を掲載。佐藤優氏解説。

内容説明

「私は、生きてきた歳月を後悔しない。」現代史の生き証人、東西冷戦終結の当事者が自らの言葉ですべてを語る。巻末にゴルバチョフ氏の最新の論考を収録!(2021年8月発表)

目次

幼年時代、少年時代、青年時代
スタブロポリ―出世街道の始まり
モスクワへの異動
ペレストロイカ、スピードアップ、グラスノスチ
我が国と全世界のための新思考
ボリス・エリツィン―何が起きたのか?
政治改革
第1回人民代議員大会
ソ連大統領
1991年―8月クーデター
「私は統一国家のために闘った」
対外政策の総括
独立国家共同体(CIS)―「ゴルバチョフなき連合」
新生ロシア
私の社会民主主義的選択
記念の時間
家族―ライサ

著者等紹介

ゴルバチョフ,ミハイル・セルゲービッチ[ゴルバチョフ,ミハイルセルゲービッチ] [Горбач¨ев,Михаил Сергеевич]
1931年3月2日、旧ソ連ロシア共和国スタブロポリ地方の農家に生まれる。1955年モスクワ大学法学部卒業。ソ連共産党のスタブロポリ地方委員会第一書記、党中央委員会第二書記などを経て、1985年3月に54歳でソ連の最高指導者である党中央委員会書記長に就任。ペレストロイカ(改革)に着手して国内の民主化を進める一方、新思考外交を展開した。1985年11月にはレーガン米大統領とのジュネーブ首脳会談で、「核戦争に勝者はなく、その戦いは決してしてはならない」と合意したのをきっかけに、初の核兵器削減や東西冷戦の終結へと導いた。1989年5月から、刷新されたソ連最高会議の初代議長を兼任後、1990年3月にはソ連の初代大統領に就任。1990年、ノーベル平和賞を受賞した。しかし、1991年8月に起きた保守派によるクーデター未遂事件を機に国内での政治的権威を失い、1991年12月25日、ソ連崩壊とともに大統領を辞任した。大統領退任後はゴルバチョフ財団の総裁を務め、講演活動や執筆、環境運動などに従事。人類共通の利益、政治思考の非軍事化、人間の安全保障の観点から世界に発信を続けている

副島英樹[ソエジマヒデキ]
1962年、兵庫県姫路市生まれ。朝日新聞編集委員。東京大学文学部卒業。1986年4月、朝日新聞入社。広島支局、大阪社会部などを経て、1999年4月~2001年8月にモスクワ特派員、2008年9月~2013年3月にはモスクワ支局長を務め、エリツィン、プーチン、メドベージェフの各政権を取材。米ロの核軍縮交渉なども担当した。核と人類取材センター事務局長、広島総局長など歴任。2019年12月にゴルバチョフ元ソ連大統領と単独会見した(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー

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aika

40
あの米ソ冷戦の時代に、いかにして哲人政治家は誕生したのか。ゴルバチョフその人の言葉をたどると発見の連続でした。先に進むは棘の道、後に退いたら旧体制の冬の時代。それでもペレストロイカを掲げ、専制と独裁に縛られたロシアの民衆に民主主義をもたらすものの、その反動の濁流に自らがのまれ、ソ連崩壊後も一身に批判を集めた政治家の悲劇と功績。エリツィンへの率直な心情も興味深く、両祖父への迫害やモスクワ大学での青春など、パーソナルな語りも魅力です。何よりライサ夫人へのひたむきな愛が、彼の深い人間性を物語っていました。2023/01/18

ばんだねいっぺい

33
祖父の時代の並々ならぬ苦労から、本人が村初めての大学生となり、伴侶と出会い、地方から大統領まで登り詰めるまではよかった。ところが、8月のクーデターから一気にトーンが変わる。言い訳がましくなるし、そこからの持論の展開も空疎に響き、なんだかなぁと読んだ。2023/01/18

BLACK無糖好き

22
冷戦終結に大きな役割を果たしたゴルバチョフの自伝。同時にソ連崩壊の責任を問う様々な評価もある。最も注目したのはNATO東方拡大禁止について、従来よりゴルバチョフがベーカー長官に騙されたとの見解もある(プーチンも条約を結ばなかったゴルバチョフの責任に言及)。本書でゴルバチョフが語っているように当時の状況はNATOが東方に拡大する問題自体存在しなかった。ベーカー長官の発言が東ドイツ領内のことであれば条約通り(ドイツは不拡大条約を履行)。東方拡大のことであれば話は変わる。ただ本書ではこの件には一切触れていない。2023/12/02

takao

2
ふむ2023/12/24

Tad

1
幼少期の生活から、ソ連の社会民主主義化を目指す取り組み、ソ連崩壊、今のロシアについてまで広く触れられています。 民主化を達成するために権力の行使はやむなしとしつつ、社会への激震を避けながらどう民主化を進めるか。権威主義・全体主義国であれだけ取り組めたのはすごいと思います。 一方、同意しかねる点もあり、例えば「西側の敵意」については国家への敵意ではなく単純に権威主義国へのリスクマネジメントの姿勢の結果なのではないかという気がします。また、ソ連無き今、クリミア併合は正当化できないのではないかという気もします。2022/11/23

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