出版社内容情報
日本の教育学の泰斗として知られる著者が、学生時代から一貫して取り組んできた「自己意識論」を集大成としてまとめた論集の第3巻。自己意識の問題は、アイデンティティ、自己概念、自己イメージ、自尊感情などの形で論じられ、現代の心理学・社会学・教育学などにおいて、最も重要な課題の一つとされてきた。本書では、アイデンティティの確立について、三つの段階を提示している。第一段階は、家族や友人を通しての原初的な存在の確認。第二段階は、職業やジェンダーなど社会的ラベリングによる位置づけ。「世間」が重い意味を持つ日本のアイデンティティ論は、従来、この第二段階で終わりがちであった。しかし、もうひとつ、第三段階を考えなくてはならないと著者は主張する。志向する自己像を投影した、他者への宣言としてのアイデンティティである。さらには、晩年の良寛のような「私なんて何者であってもええやないか」という超アイデンティティの境地にも思いをめぐらす。個々人の意識世界のあり方について、「自分自身を生きていく」ためのものにしていこうとする様相を、さまざまな角度から論じている。また、アイデンティティを論じる上で欠くことのできない、宗教および宗教教育についても、日本文化の特性と自己意識の観点から深く論じていく。
目次
1 “私”とは(“私”というこだわり;公理系としての“私”;固有の世界としての“私”)
2 人々とともに(社会的主体としての“私”;“我の世界”と“我々の世界”と;マルチなアイデンティティと新たな統合の道と;“公”も“私”も大事にするということ)
3 “いのち”として(自己幻想からの脱却と“いのち”の自覚)
4 “私”を問い直す(“私”をめぐる六つの問い―大阪大学大学院生との対話(一九九三年)
アイデンティティの形成と探究をめぐって―問題提起と討論(一九九七年))
5 宗教による目覚め(個我的自己意識からの脱却と宗教―心の教育のために(二〇〇一年)
日本の伝統的美質である宗教多元主義の尊重復興を(二〇一二年)
偽善とは何か―自分自身を生きるということ(一九九二年)
宗教教育の再興(二〇〇一年))
著者等紹介
梶田叡一[カジタエイイチ]
1941(昭和16)年4月3日、松江市生れ。隣の米子市で幼稚園・小学校・中学校・高等学校を卒え、京都大学文学部哲学科(心理学専攻)卒業。文学博士(1971年)。国立教育研究所主任研究官、日本女子大学文学部助教授、大阪大学人間科学部教授、京都大学高等教育教授システム開発センター長、京都ノートルダム女子大学長、兵庫教育大学長、環太平洋大学長、奈良学園大学長を歴任。現在は桃山学院教育大学長。併任として、(学)聖ウルスラ学院(仙台)理事長、日本語検定委員会理事長。これまでに、教育改革国民会議(総理大臣の私的諮問機関)委員(2000年)、第4期・第5期中央教育審議会(2007~2011年)副会長(教育制度分科会長・初等中等教育分科会長・教育課程部会長・教員養成部会長)、教職大学院協会初代会長(2008~2010年)等を歴任。また、大阪府私学審議会会長、大阪府箕面市教育委員長・総合計画審議会会長、鳥取県県政顧問、島根大学経営協議会委員・学長選考会議議長、(学)松徳学院(松江)理事長等も歴任。(中国上海)華東師範大学“大夏講壇”講演者(2006年)、兵庫教育大学名誉教授(2010年)、日本人間性心理学会名誉会員(2013年)、等の他、神戸新聞平和賞(2010年)、(裏千家淡交会)茶道文化賞(2012年)、宮城県功労者表彰(2014年)、京都府功労者表彰(2017年)等を受ける(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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